涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

書籍『生きづらいでしたか?私の苦労と付き合う当事者研究』を読んで

細川貂々さんの著書『生きづらいでしたか?』を読みました。

生きづらいでしたか?: 私の苦労と付き合う当事者研究入門

生きづらいでしたか?: 私の苦労と付き合う当事者研究入門

  • 作者:細川 貂々
  • 発売日: 2019/02/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

よかったんです。

なんだろう? と思ったら、エッセイ漫画なんだけれど、ところどころで、ハッとする言葉に出合ったり、ホッとしたり、ジーンとしたり、はたまたちょっと切なくなったりしたんだけれど、最後には、不完全な私でもいいのかも、きっと大丈夫、どうにかなるよと勇気をもらえた本だったんだと感じました。

 

当事者研究」って知っていますか?

 

私は、この本を目にする前に、どこかで小耳挟み「なんだろう?」と思いながら流していました。

 

この本を読んで…

当事者研究とは?…

困りごとなどを抱えた人・本人がその場にいる仲間と一緒にその苦労のメカニズムや意味を考えるという意味。

仲間と一緒にすることもあれば、一人でやる場合(ぼっち研究)もある。

と、知りました!

 

当事者研究は、もともとは統合失調症アルコール依存症の人たちの自助活動のことで、北海道浦河町の「べてるの家」というところで始まったようです。

 

で、「当事者研究」の本を作ろうと思った細川貂々さんと編集者さんが、その「べてるの家」に行って実際に体験したことがエッセイ漫画になっているのですが、私の頭に「?」がたくさん浮かびながらも、時々、そこに出てくる説明やセリフにハッとさせられたのです。

 

例えば、そこの様子を

規則はあるんだけど その時その時によって 形がちがうような

と表現したり、

自分からどうこうしようとするより波が来るのを待ってから乗る

と言ったり…

 

当事者研究は人と人が語り合うことで

人間が本来持ってる

「自分で考えながら発見していく力」を

取り戻していくもの

 そう聞いて、尊いな場だなと思いました。

 

細かいことについてここに全て書けないので、気になった方はさっと読めるので、読んでもらいたいのですが、一番ガーンとやられたというか、知っていたけれど忘れていた大切な言葉を紹介したいと思います。

 

お兄さんが10年前から統合失調症の女性が、お兄さんのために何かできないかと思い「べてるの家」を見学した時に、そこにいる精神科医の先生に言われた言葉なんですが、

あなたがヒーローになって誰かを救ったらその人はどうなると思う?

死ぬんだよ

 

あなたは何もしちゃいけないんだよ

 だったんです。

 

これは、今学んでいる「親業」でもよく「問題の所有者は誰ですか?」と聞かれるんですが、本当は、子どもの問題なのに親が親自身の問題にしてしまうことがよくあるねってときに、よく出てくる問いかけです。

 

で、彼女がどうやっていくのか? については、ぜひ本を読んでもらいたいのですが、この先、統合失調症とかアルコール依存症といった人ではなく、社会に擬態できる人、つまり、なんとなく息苦しいとか思いながらも社会で日常生活を送れている人、ちょっとズレている感を感じている人も、人と「問題」を共有しながら話すことで気づいたり、楽になったりするんだと改めてわかりました。

 

また細川貂々さんもやっているそうなのですが、一人でも当事者研究はできるようで通称「ぼっち研究」というようです!

 

少なからず、私もよく自分を俯瞰したり、していますが、この「ぼっち研究」に似ている気もします。

 

一人で、時には人の力を借りて「困りごと」を客観的に研究してみることはとてもいいことなんじゃないかと思いました。

 

こうしてここまで書いてきましたが、私がこの本を読んで本当に感じたことをうまく表現できていない気もします。

 

何か言葉にできない感動、気づきに出合えた気がしていましたが、本を読み終わって、再びページをめくったら、そのとき感じた感情が感じられなくなっていました。

せっかくつかんだと思ったのに…。

 

感情もまた波のようですね。

 

ただ、ひとつ言えるのは「不完全でいい。不完全だからいい」ということがわかったということです。

 

掴んだようで、するりと指の間から抜けてしまった「納得感」をもう一度読んで感じてみたいと思います。