涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)中1ひとりっ子男子の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る40代主婦のブログ

「自己肯定感を高めたい」と思ってからの変化

私自身の自己肯定感があまり高くないと気づいたのは、数年前のことで、それまでは、自分のことが割と好きだし自己肯定感は高い方だと思っていた。

 

しかし、その「自分のことが好き」という感覚が「頑張っている自分のことが好き」といういわゆる条件付きの「好き」だと知って、「ダメな頑張れていない自分のことは認められない」私の自己肯定感は高くないのだと知ったわけだ。

 

それでもどうにか折り合いをつけながら過ごしてきたのだけど、一度気づいてしまった「ありのままの自分を認められない」という状態にだんだんと耐えがたくなってきていて、今あるセラピストの方にパーソナルセッションしてもらっている。

 

そんな中で、以前書いた「ずっとやりたかったことをやりなさい」という本も紹介してもらい、今週が最終週(12週目)になった。

 

 

新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。

新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。

 

 

 

tearsmile24.hatenablog.com

 

 

この3〜4ヶ月くらいで、どれだけ自分が変われたか正直よくわからないけれど、セラピストの方との対話や、モーニングページやアーティストデートなどを通して自分と向き合うことによって、自分の現在地が少しずつわかってきた気がする。

 

自分の現在地とは、例えば、今現在「自分が不完全であるということ」そして「その不完全な自分を丸ごと認めたり許したりし難いこと」などだ。

 

しかしながら、この「認める」「許す」ことがとても難しく、「認められない」「許せない」状態から、認めにくいし引っかかり時間はかかるけれど「まあ仕方ないか」と思えることが少しずつ出てきたように思う。

あるいは、「どうしてもこのことは嫌だと思ってしまうな。今の自分は認められないな」と俯瞰することができるようになってきた。もちろん、少しずつだけど。

 

とはいえ「セラピーを受け始めて4ヶ月経ったのに、これくらいしか変化していないなんて……。ほとんど変わらないな……」そう落ち込む自分もいるのも確かだ。

 

落ち込む気持ちはあるけれど、成長はらせんを描くと聞いたことがある。

景色は変わらないけれど、確実に歩んでいるということだ。

 

そうだ。

だって半世紀近くもずっと、ある意味、正しいと思い大切にしていた価値観を変えようというのだから、一朝一夕には変われないんだろう。

「どんな自分でも認めることができる」には至っていなかったにしろ、私は私なりに、相当頑張っていたのだ。そんな自分のことは今も変わらず愛おしく思う。親だったり、周りの仲間だったりと自分以外の誰かのためとか、誰かに認めてもらいたいという動機だったかもしれないけれど、それでも健気に頑張ってきた自分のことは忘れたくないのだ。

 

「自分軸になりたい願望が強い自分」が居ながらも、今までの「他人軸だった自分」も否定したくないのだ、という気がする。

 

よく頑張ってきた。大変だったり、不自由だったりもしたけれど、あの時の頑張りが今の私を作っているのだ。

 

あ。

そう考えると、今、私は、自分のことを愛することができているのかもしれない。

 

こんな風に時々ホッとしながらも、未だに不安な時間も多い。

やっぱり焦らず少しずつだな。

 

今日も、旦那や息子のため息やイライラを吸収してこっちまで憂鬱になったり、何か自分のせいなのかな? と考えてしまう私がいるけれど、それも、今の私。

ため息やイライラはその人の問題であって、ちょっと振り返って自分が原因でない場合はスルーして良いのだ、そうしよう、と思うこともできた。

 

しかし、まだまだだ。道のりは遠い。

だけど、なんとなく、いい方向に進んでいる気がする。

もし違っていたら、またその時に方向転換すれば良いのだ。

そうしよう。

そう思ったら少し肩の力が抜けた。

 

素敵なセラピストの方に出会えて伴走してもらってとても感謝している。

セッションは、秋までまだある。

それが終わったら、どんな変化があったかまた書きたいと思う。