涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

『ずっとやりたかったことをやりなさい。』のプログラムに取り組み中です!

久しぶりのブログです。

最近、めっきり更新の頻度が落ちてしまいました。

ブログは書いていないのですが、実は、文章を全く書いていないわけではないのです。

じゃあ、いったい何を書いているのか? ということについて、今日は書きたいと思います。

 

『ずっとやりたかったことをやりなさい。』という書籍ご存じでしょうか?

新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。

新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。

 

 実は今このプログラムに取り組んでいます。

現在ちょうど半分終わった7週目です。

全部で12週の課題があって、それにしたがって自己探求していくことによって、自分の中にある創造性が回復されていくというプログラムなんです。

 

私が信頼しているセラピストの方に勧めていただいて取り組んでいるのですが、これがとても私に合っていると感じています。

毎朝「モーニングページ」という心に浮かぶことをノートに3ページずつ書いたり、「アーティストデート」といって自分の中に居るアーティストがワクワクするようなことを週に1回したりするんですが、とても刺激的です。

それ以外に、各週に課題があってそれに取り組むと改めて自分を振り返ることができるのです。

 

私は、時に、自分のことがわからないと思うこともありますが、自分のことなんか知りつくしていると思っているところもあったのです。

ところが、このワークを取り組んでいる中で、自分の中の意外性、例えば、「実はこれが本当は好きかもしれない」「こうするべきだと思って行動しているけれど、本当はこっちの方がやりたいのかもしれない」と少しずつ自分の本当の気持ちに気づいてきたりしています。

 

それは、残念ながらというか、当然のことながら、いいことばかりではなく、自分の中にこんな気持ちがあったのか、実はこんなに傷ついていたのかと思い知らされて、どんよりしてしまうこともあります。ですが、少しずつ少しずつ、そんな私も、間違いなく私であるのだ、認めよう、許そうという気持ちも湧いてきています。

 

「モーニングページ」には飾らない本当のことを書いています。

このプログラムをするにあたり、注意点として、「モーニングページを人に見せない」というものがあるので、細かくは今ここには書けないのですが、「脳の排水」とも書かれていて、確かに、いろいろなことを感じたり考えたりしているなと思います。

とりとめないながらも、そこに書くことによって吐き出されて、スッキリします。

 

私は、というか、私だけではなく同じような傾向の人も少なくないと思いますが、感情よりも思考が優位なタイプだと感じています。

もともとそうなのか、そうしようとしていてそうなっているのかわからないのですが、負の感情が湧き上がるとそれをなかったことにしようとしたり、脇に置いたりしている気がします。

今、私が感じている感情よりも、この場の、この雰囲気の中で、何をするのが最善なのか? どうしたらこの空気のバランスが保てるのか? を考えて行動することが多い気がします。

 

しかし、確実にそこに私の感情はあったのです。

ではどうしていたのかというと、置いていけぼりをくったり、何かの下や奥の方に押し込められてしまっていたはずなのです。

そういうことにすら気づけていなかった。そのことがとてもショックでした。

けれども、それに最近気づくことができたのですから、よかったのだと思います。

 

さらに、感情を感じることよりも苦手になってしまったことは、体の感覚を掴むことです。

もちろん、相当な痛みならばわかりますが、少しの不調にはほぼ気づかないか、あるいは気がついたとしても、大したことがないとほったらかしにしてしまう癖がついている気がします。

足の裏全体で床に触っていないし、今何を触り、何を食べ、何を聞き、どんな香りを感じているのかという感覚を掴むことさえ、希薄になっている気がします。

そのことに気づきとても悲しいのですが、気づけてよかったとも思います。

 

もうひとつ、最近気づいたのは、大きなイベントや達成よりも、日々の日常を大切にご機嫌に心地よく過ごすことに重きを置いた方が、人生における満足感が高くなるのではないかということです。

遠くのまだ何かよくわからない大きな目標のために、日常をないがしろにしていた気がするのです。

 

こうして書いてみると、まるで、私の今までの人生が無味乾燥で面白みのないものだったのか、というかそうではありません。

時には、笑い、涙し、感動し、そうして大切に生きてきたつもりです。

それなりに、幸せも感じています。

しかし、何か、足りない、そう感じる自分もいます。

 

意識的にそうしていたわけではないけれど、足りないから、何かを外側から得ないといけないのではないかと思っていたのかもしれません。

けれども、そうではなくて、もうすでに持っているのかもしれない、と少し感じ始めています。

ただそれにしっかりとまだ気づけていない。

いや、最初からそんなものはないのかもしれないし、足りないという感覚すら違っているのかもしれません。

 

いろいろ巡った結果、悟るというか、自分の納得する答えのようなものに行きつく人もいると思うのですが、実は、私はまたそこまでたどり着いていません。

 

何か、見つけられるかもしれないし、何も見つけられないのかもしれない。

 

しかし、「何か成し遂げないと人生意味がない」と思い込んでいた私の気持ちは、少しずつ変化をしていて、「何かを成し遂げられたら、それは素敵なことだけれど、もしもそれができなくても、いい人生は送れるのではないか」という思いに近づいています。

 

そう言いながら、欲深い私も未だにいます(苦笑)

 

何かをしっかりと見つけたわけでもないのに、こうして文章を書き始めてしまったことを、今、少々反省というか、気恥ずかしく感じている私もいます。

 

あと半分の6週間ワークに取り組んでどんな変化があるのだろう? 自分の未知にワクワクしている自分もいます。

 

途中経過の記録、ということにしよう。

そういうことにします(笑)

 

この本いいですよ! こんな結果が出ましたよ! と勧められる段階ではないのですが、良さげな感覚が今あります。

自分の中の創造性を回復させたい人は、良ければちょっと読んでみてください!

 

このことについてはまた書きます!