涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

言葉と、その奥にある気持ち

昨日、息子のスイミングスクールがあったのだけど、「行きたくない」と言ったので「わかった。休もう」と言ってスクールに電話連絡した。

 

通い始めて7年目。

 

本人が行きたいと言って行かせ始めたわけではなく、親の私が「泳げるようになってほしい」と習わせ始めたので、「行きたくない」とはよく言うが、それにも波があって、楽しんで行っていた時期もある。

 

最近、また毎週のように「行きたくない」と言っている。

 

けれど、昨日の「行きたくない」は、同じ言葉でも、いつもの「行きたくない」と雰囲気が違ったので、昨日は休んだ方がいいと感じたのだ。


休むと決まったら、今にも泣きそうで、つらそうだった息子の顔が少し緩んだ。

 

「話聞こうか? それとも後がいい?」

「今聞いて」

 

布団を敷くと、その上に飛び乗り、寝転びながらポツリポツリと話し始めた。

目の上に腕をおき、目を隠していた。

断片的になりかけそうな話を、どうにか時系列で話そうとしながら、時に涙をこらえ話していた。

どうやら、学校で、息子にとっていくつかのトラブルが重なり合って、いっぱいいっぱいになってしまったようだった。

 

話をひとしきりして、少し昼寝をしたら大分気持ちが落ち着いたようだった。

 

ゆっくりさせてあげたいとはいえ、明日の宿題だけはしてほしくて、全くの自由にはさせてあげられず、早く寝るためにも、宿題だけはやってしまおうと伝えた。

 

息子の気持ちに寄り添いたいが、私にも気持ちがあって、それとの折り合いをつけるのに、まだいちいち時間がかかる。

 

けれど、スイミングスクールをなるべく「休ませたくない」私が、昨日はものの15秒くらいで「休ませよう」って決断できたことは、HSC(ひといちばい敏感な子)の息子の母としての成長だと思いたい。

 

HSCに限らないと思うけれど、HSCのこの場合、初めてのことに不安を感じたり、物事自体に慣れるのに時間がかかることが多い。

 

最初にやりたがらないことでも、やってみて、「楽しかった」ということもあるので、背中を押したい時もあるけれど、押しすぎると無理強いになってしまうのでそれは良くないとも思う。

 

何が正解かわからず、間違いだったのかもしれないと思うこともあるけれど、スイミングに関しては、泳げるようになって楽しんでいる時もあるので、「スイミングを習わせたこと自体」を悔やむのはやめている。

 

ところで、昨晩、早めに寝て欲しかったけど、宿題に時間がかかり、寝るのが遅くなった。

 

今朝、起きるのがつらそうだったけど、

「帰ってきたら、お母さんに余裕があったらマッサージしてあげるから」

と言ったら、嬉しそうに笑った。

「余裕がなくてもマッサージして」

「じゃあ、その時はちょっとだけ」

「余裕があっても、ちょっとだけの可能性高そう」

「そうかもね」

息子の方が、面倒くさがりの私のことをよくわかっているのかもしれない。

 

マッサージしてあげようって思ったのは、どうしたら息子のストレスを軽減することができるか? エネルギーをチャージするサポートができるか? 考えたら出てきた答えだったからだ。

 

その気持ちが伝わったのか、急にすっくと立ち上がって学校に行く支度を始めた。

 

ああ、そうか、大切にされたかったんだな。

息子の気持ちがわかった気がした。

 

私たちは、疲れてしまった時、誰かに話を聞いてもらいたくなる。大切にされたくなる。それができればいいけれど、できない時は、自分で自分を大切にすればよいのかな?

 

そんな風に思った。

 

言葉をしっかり聞くことも大事だけど、さらにその奥にある気持ちを感じられるように、私自身にできるだけ余裕を持っておきたい。

 

だから、まずは自分を大切にして、満たしておこうと思う。