今日、息子の夏休みのプールの進級テストだった。
プールの進級テストは、毎年、だいたい1学期の授業で1回、夏休みに前半1回、後半1回、2学期の授業で1回の合計4回ある。
例えば、雨などでその日のプールが中止になってしまうと次回に順延されるけれど、それでも天候が回復しない場合は止むを得ず進級テストがなくなってしまう。
なので4回あるといっても、実質それ未満の年度もある。
今年は、まさにそれだった。
1学期の進級テストの日は雨で中止になり、次回もプールに入ることができなかった。したがって、前年度の級のまま、夏休みに入ってしまった。
だから、今日の進級テストが、今年度初めての進級テストだった。
子どもたちの中には、進級テストを楽しみにしている子もいるだろう。
しかし息子は敬遠していた。
理由は「プレッシャーがかかるから」だと言った。
今年度の夏休みは、息子は今までの中で一番プールに行っている。
残念ながらというか、もちろんというか、息子がワクワクして行っているのではなく、「できるだけプールに行ってほしい」という親の気持ちにしたがって行っているという状態なのだけど、それでも、結果的には頑張って行っている。
6回実施されたうち5回行っている。
休んだ1回は、同じ日にスイミングスクールがあったから、特別に「この日は行かなくていいから」と免除OKにした日だった。
低学年の時は、夏休み前半のプールに1回も行かない時もあったから随分頑張っていると思う。
スイミングスクールの通っていることで、水泳に対する苦手感が薄まっているところもあると思うし、高学年になって水の冷たさとかに慣れてきたからということもあると思うけれど。
それに、「テストは無理に受けなくていいよ、そんなに嫌なら。その代わり、他の行ける日は行こう」と夏休みが始まる時に、軽く話し合ったこともあると思う。
テストを敬遠している息子の気持ちを逆手に取って、提案した大人のズルさがあったことは否めない。申し訳ないが、できるだけ体と動かしてほしい親心だ。
息子は「わかった」と言ってプールに通っていた。
ところが、である。
昨日の朝、旦那に
「明日は進級テストがあるから行きたくないって。一応、嫌なら無理しなくていいよっていうことにしている」
と私は現状を伝えた。
「そっか。何が嫌なんだって? 行きたくない理由は何?」
「うーん。プレッシャーとかって言ってたけど、もう一回聞いてみようか」
トイレから出てきた息子に
「明日に進級テストが嫌な理由って正確にはなんだっけ?」
と聞いた。
「プレッシャーがかかること」
「それだけ?」
旦那が聞くと
「あとは、『何級の人はこっち、何級の人はあっち』とか、わちゃわちゃするところ」
と息子が答えた。
「え? それだけ?」
それだけ、と言ってしまえばそうだけど、息子にとって「いつもと違うこと」「テストで試されること」などがストレスであることはわかっていたので、「それだけ?」と言ってしまうのはちょっとかわいそうだと感じた。
だからこそ「進級テストは無理に受けなくていい」と言っていた私だったのだけど、もしかしたら、ここは、気持ちに寄り添うところではなく、背中を押すところだったのかもしれないとも感じた。
息子は黙ってしまったが、旦那は続けた。
「じゃあ、テストを受けないとしたら、その時間は何するの?」
「えっと勉強とか……」
「お父さんは、何か運動してほしいんだ。水泳じゃなくてもいいんだけど」
「じゃあ、散歩する」
「わかった。だけど、本当はプールに行ってほしいとお父さんは思っている。最低でも何かして。何もしないはダメ。何もしないと人は成長できないから」
「うん」
そんな会話があって、私は、なんて言っていいかわからなくなって、とりあえず
「テストって、絶対に合格しないといけないわけでもないんだよ。『挑戦すること』が尊いんだよ。やってみないと、自分が今どれくらいできるのかを知ることができないから。精一杯取り組めばいいと思う」
と伝えた。
「わかったよ。じゃあ行くよ」
ふてくされ気味だったけど、一応は行く気になったようだった。
その後、昨日の朝はプールに行った。翌日進級テストだからということで、テストに向けての練習が行われたようだった。
息子の目標は「50mをクロールで泳ぐ」だった。
息子はスイミングスクールに通ってはいるものの、クロールで50mは泳いだことはない。
背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライといろいろな泳ぎ方を習ってはいるけれど、全て25mの範囲だ。
だから、息子にとって50mという距離は未知だった。
「練習で50m泳いでみたの?」
そう聞くと息子は首を横に振った。
「え? じゃあ、もし明日テストを受ける場合、ぶっつけ本番な感じ?」
「そう」
「泳げそう?」
「わかんない」
私は、なぜ、一度練習で泳がなかったのだろうと思った。
そして、同時に、明日はもし進級テストを受けたとしてもおそらく受からないだろうと思っていた。
だから、
「まあ、精一杯泳げばいいよ。もし合格できなかったとしたら『今、自分はこういう状態なんだ』と知ることができるだけで、挑戦するだけで意味があるから」
と言った。
息子が頷いていた。
今朝になり、気持ちが切り替わっていたのか文句を言わずにプールに行く準備をしていた。
「グットラック」
そう言って送り出した。
私は、午前中に荷物が来る予定になっていたので、それを気にしてソワソワしており、正直息子の進級テストのことはあまり考えていなかった。
不合格でも、笑顔で迎えよう。
挑戦したことをすごいと認めよう。
そう思っていた。
息子が帰ってきた。
表情からは読み取れなかったので、聞いた。
「どうだった?」
「合格したよ」
「え! 本当に! すごい! おめでとう!」
息子は、息継ぎがあまりうまくいかなかったので、息継ぎを減らしてどうにか50m泳げたらしかった。
ぶっつけ本番だったけど、できたらしかった。
嬉しそうに笑っていた。
ギュとハグした。
旦那にもLINEで報告した。
「すごーい!」
と返事が来た。
「行くように言ってくれてよかった。ありがとう。息子よく頑張ったよね」
旦那にお礼を言った。
よかった。
私一人だったら息子の成長の芽を摘んでしまうところだった。
そっか、ここは背中を押すところだったのだ。
昨日、息子が出かけた後に旦那が、言っていた
「多分、うちの息子の場合、これから先に『わかったよ。じゃあ無理しなくていいよ』と言わないといけない場面がたくさんあると思う。それは、性格とか気質的にわかっているんだ。だけど、それをなるべく減らしたいと俺は思っている。そう気持ちに寄り添わないといけない場面もあるとは思うけど、今回は行った方がいいと思うんだ」
と。
息子はおそらくHSC(ひといちばい敏感な子)だ。
けれども、それほど感覚は過敏ではないとは思う。どちらかというと、未来に不安を感じやすいところが強い。
HSCと言ってもいろんなタイプの人がいるので、プールに関して「気持ちに寄り添うことが必要」な子もいると思う。
しかし、今回は、息子にとって「背中を押すこと」が有効だったようだ。
HSCに限らず、子育ては選択の連続だ。
しかも、その選択は突然やってきて、だいたいが難問である。
今回、私はの最初の選択は間違っていたかもしれないけれど、「旦那に相談してみる」という点で言えば正解だったのだと思う。
間違い、正解という考えもまた違うのかもしれないが、あくまでも結果的にだけど、しかも今時点の。
次は、「正しいカエル足ができること」でその次は「平泳ぎで25m泳ぐこと」だ。
後、今年度2回進級テストがあるはずだから、合格できるかな? とつい皮算用してしまうけれど、大切なのは、息子の問題であるということ。
「挑戦することは尊い」と息子に発した言葉が、私にブーメランのように返ってきている。
私も今躊躇していることがあるので、思い切って挑戦してみようと思う。
何に挑戦するのかの話は、また今度。