息子の夏休み5日目。
息子の通う小学校では、夏休みの前半に9日間と後半に4日間、学校のプールがある。
参加は自由なので、ずっと地元に居ないとか、あるいは自宅に居ても参加しないという選択をすることもできる。
けれども、特に忙しい訳でもない我が家では、できればプールに行ってほしい気持ちが私にはあり、旦那にもできるだけ体を動かしてほしいという気持ちがあるので、あまり乗り気でない息子に「できるだけ参加しよう」という提案をしている。
提案……と書いたけれど、圧はあると思う。命令ではないけれど、「強めの提案」という形だ。
「全部は行かなくていいでしょ?」
「まあね、全部はいいけど、できるだけ行ってほしいと思ってる」
そんな会話を毎年している。
けれども、その会話の内容が同じようで、少しずつ、変わってきているのだと気づいた。
小1の時、息子は今年以上に嫌がっていた気がする。
「運動が苦手な子のための運動教室」というのがあって、それにも私が申し込んでいたので、そこにも行ってほしいし、習っているスイミングスクールにも行ってほしいし、学校のプールにも行ってほしいという中、息子はどれも嫌がっていた。
全部行ってほしいけれど、それは無理そうだ。
だったら、わざわざ申し込んだ「体操教室」とお金を支払っている「スイミングスクール」を優先し、学校のプールは「行かなくていい」という日を選択した結果、夏休みの後半に1日だけ学校のプールに行っただけだったと思う。
小2の時も嫌がっていた。
この年も「運動が苦手な子のための運動教室」に申し込んだ。前の年は渋々ながら黙って行っていたのだけど、この年の指導者の先生との相性がとても悪く、前年以上に拒否反応が強かった。けれども、どうしても「運動教室」に行ってほしかったので、学校のプールはやはり休みがちだったと思う。
小3の時も嫌がっていた。
この年は、申し込み以前から「運動が苦手な子のための運動教室」には絶対に行きたくない、という意思表示をされた。跳び箱とか鉄棒をお母さんは教えてあげられないから、専門の先生に習ってほしいと思っているんだ、と気持ちを伝えたのだけど、嫌だという意思表示は変わらなかった。
「だったら、学校のプールにたくさん行ってよ」
そんな風に言った気がする。
「スイミングスクールももちろん行くんだよ」
そう念も押した。
「わかったよ」
そんな訳で、この年は渋々ながら、学校のプールには結構行ったんじゃなかったかな……。
小4の時はどうだったろうか? 去年のことなのにあまりよく覚えていない。
「なるべく行くんだよ」
と言いながら、体調を崩したり天気が悪かったりして行ったり行かなかったりだったかな?
今年小5の夏は、やはり「できるだけ行ってほしい」と思っている。
けれども、少し私の気持ちも軟化している。
小4までは、スイミングスクールがある日も学校のプールに行ってもらいたいと思っていいて半ば強引に行かせていた。
「午後にスイミングスクールもあるんだ」
と友だちに言ったら
「それはきついね」
って言われたと言っていたっけ。
だから、という訳ではないけど、今年は、「スイミングスクールに夕方行く日」は学校のプールに行かなくていい、ということにした。
「その代わり、何もない日はなるべく行こう」
「わかった」
「それから……」
と私は続けた。
「何もない日はなるべく一日に一度は外に出よう。できれば一緒に散歩をしよう」
「わかった。でも散歩は買い物ついでならいいけど、わざわざは気が向かない日もあるから」
「いいよ。わかった。それは行きたい時でいい」
そんな会話があって夏休みが始まった。
昨日はさっきも書いた通り雨だったのでプールは中止だったのだけど、今日はプールがあった。
「行きたくない」
そう言っていたけれど、どうにか行った。
帰ってきたら、仲の良い友だちもいたらしく、まあ、さほど嫌ではなかったようだ。
今日は、学校のプールに行ったから、散歩に一緒行くのはどっちでもいいかな、と思っていた。
しかし、一方で私は散歩に行きたかった。
だから、息子に聞いてもしも「散歩に行かない」と言ったら留守番をしてもらって一人で散歩に行こうと思っていた。
やはり、息子は「散歩に行かない」と言った。だから、私は一人で散歩に行った。
公園内の木のチップや土でできた道を歩いたら、フカフカしていて、山歩きに行ったみたいでとてもウキウキした。
その足で買い物をして家に帰った。
一緒に買ってきたパンを食べて、息子も学校のプールに行ったし、私も散歩に行けたし気持ちが落ち着いている。
なんであんなに意固地になって、学校のプールや運動教室に無理に行かせようとしていたんだろうって思う。
しかし、今もスイミングスクールには行ってほしい気持ちがあるから、全く気持ちが変わった訳ではなくただ少し軟化したというだけでもある。
“体を動かしてほしい”
“鉄棒ができるようになってほしい”
“跳び箱が飛べるようになってほしい”
今もその気持ちはあるけれど、そこに“とはいえ「息子の人生だ」”という気持ちもだんだんと強くなっている。
親ができることはサポートすること、アドバイスできることだけのような気もする。
時には、強めに提案することも、これからもあると思う。
注意することもあるだろう。
しかし、一日の中に、息子が笑顔で楽しめる時間を持ってもらいたいという気持ちが今はとてもある。
夏休みは長いから、できるだけ不満を溜めないで、自分も子どもも楽しみを混ぜながら過ごしていけたらいいなと思う。