涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

今まで飲み込んでいた言葉を出してみた結果

最近、ちょっとだけ、行動を意識して変えている。

それは、今まで、飲み込んでいた言葉を出してみることだ。

 

それは、「本当は嫌なんだけど、その気持ちを隠して笑顔で応対すること」だったり、「本当は欲しいんだけど、それを買うと家族が迷惑かもしれないのでやめておく」という行動を「変えてみる」ということだ。

 

例えば、先日、ご近所の方が家の前で「みょうが」たくさん採っていた。

そして

「これ持ってって」

と笑顔でくれようとした。

今までの私だったら、これ食べられないな、好きじゃないんだよな、と思いながら

「ありがとうございます!」

と引きつった笑顔で受け取っていたろう。

けれども、今回は、

「お気持ちはありがたいのですが、すみません、私、みょうが好きじゃなくて。いただいても食べずにダメにしてしまうので、申し訳ありませんが結構です」

と、笑顔で言ってみたのだ。

多分、今回も笑顔は引きつっていたとは思う。

近所の方は、まさか私が断るとは思っていなかったのだろう、すごく驚いていた。

そのあと

「そうなの。好きな人も好きじゃない人もいるもんね。すみません。声かけちゃって」

と去って行った。

多分怒っていたと思う。

怒っていたというよりは拗ねる感じだった。

バツも悪いし、悲しかったのかもしれない。

確かに嫌な思いをさせてしまった。

「せっかく声かけてくださったのに申し訳ないです」

そう追加した私の言葉も届いていなかったかもしれない。

でも、嫌な思いをさせてしまったという申し訳なさと同時に、断ることができたという爽快感も確かに私の心の中にあったのだ。

 

もうひとつは、最近欲しくなった「アロマディフューザー」を買いたいけれど、いきなり買ってしまうと家族がその香りが嫌かもしれないから、諦めようかどうか迷っていたことだ。

今までの私だったら、そんなのプチ贅沢品だし、リビングに置くのは家族の迷惑かもしれないからやめようと思っていたのだけれど、待てよ、本当に迷惑かな? と思ったのだ。

聞いてみなければわからない、ということに気づいたのだ。

そこで、今日、旦那と息子とを買い物に言った時に、

「実は『アロマディフューザー』が欲しいんだけど、もしもそれがリビングに置いてあったらどう感じるかと聞きたい」

と言ってみた。

そして、私の欲しい「アロマディフューザー」が売っている売り場に一緒に行ってもらって

「これなんだけど」

と言ってみたのだ。

「いいんじゃない」

「いい匂いだね」

聞いてみたらむしろ好意的だった。

期間限定で20%OFFだったこともあり、無事買うことができた。

とても嬉しかった。

 

どうなんだろう。

こうして記事にしておきながら、ふたつめはともかく、ひとつめの「みょうが」の一件は賛否両論かもしれない。

ご厚意を受け取るために、まずは笑顔で受け取りこっそり処分するのもひとつの方法かもしれない。

けれども、断ったことによって、一時的に相手は嫌な思いはしたかもしれないけれど、自分たちがたくさん食べられたり、あるいは、他のそれを好きな人にあげる機会を得たかもしれない。

 

正解はわからない、わからないんだけど……。

 

まだ途中なのだけど、あのベストセラー『嫌われる勇気』をまた再読中だ。

一度読んだはずなんだけど、理解不足なところもあるし、今一度読んでみたいと思ったのだ。

 

「嫌われる勇気」って本当に必要だと思う。

その辺りが私は苦手なので、本から学ばせてもらいながら、自分の心に「どうしたい?」「どうする?」と問いながら、少しずつ行動を変えていきたいと思う今日この頃である。