涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

続・息子が「しんどい」と言ったから昨日は学校に遅れて登校した。

何から書こうか。

まだ解決したわけじゃないけれど、やっぱり、とても大切なプロセスというか、大事な時期だから、備忘録的にも書いておきたい、と思い書いている。

 

2日前にこちらの記事を書いた。 

tearsmile24.hatenablog.com

 

時系列を話すと、11/30に2時間目から登校し、12/1は普通に登校したんだけど、昨日の12/2はまた遅刻した。今度は、午後から登校した。

 

12/1の夜は、早めに寝ようと声をかけた。

寝不足だと、ただでさえ学校へ行く気持ちが乗らないのに、よりつらくなってしまうと思ったので、たくさん寝てほしかった。

もしも寝られなかったとしても、布団に入っていたら少しは体が休まるとも思った。

 

だけど、寝る直前に、持病というか鼻炎の常備薬を飲んだときに、ガシャンと音がなった。見ると、息子が、割れたコップの前でフリーズしていた。どういう状況だか分からなかったけれど、息子がダメージを受けていることだけはわかった。

 

小学6年生だったら、自分でガラスの処理をさせるべきかな? とも思ったけれど、そう言える感じではなかったので、今回は私が処理した。

 

そのダメージもあってか、布団に入った息子は、さらに弱って見えた。

その日あったことをひとしきり話した。細かいことは省略させてもらうけれど、ざっくりいうと、自分以外のクラスの誰かがフォーカスされて褒められたりした話だった。

そして

「それにイライラする自分ってなんて嫌な人間なんだろうって思ってつらい」

と泣き始めた。

「嫉妬する気持ちって誰だってあるよ。自分だって頑張っているのに、自分じゃない誰かが褒められるのを見ると、悲しいし、寂しいし、イライラするよね。その気持ちは湧き上がって自然。だけど、そう思ってしまう自分を嫌だなって思う気持ちもわかる。それも自然。そしてどっちも大切な気持ちだよ」

私がそう言うと、息子は泣きながら頷いていた。

「明日さ、もしかしてさ、朝起きた感じで、また遅刻して行ってもいいかな?」

息子にそう言われた私の本音を言えば、できれば普通に登校してしてほしいなと思っていたけれど、ここで追い詰めてしまうと睡眠すら取れなくて辛いだろうと思って

「うん。わかった。また明日の朝の様子で考えよう。とりあえず、今日のところは寝よう」

そう言って、頭を撫でた。

「うん」

少しホッとしたのか、息子はスーッと眠った。

 

そして、朝がきた。昨日の朝だ。

 

眠いのか、辛いのか、とにかくどんよりしたまま、どうにか食卓についた息子には、フルスピードで用意してどうにか間に合うくらいの時間しか残されていなかった。

 

どう考えても、間に合いそうになく、やっぱり遅刻かな、と思ったら、息子がポツリと話し始めた。

 

「相談したことが怖くなった」

「え?」

よくよく話を聞くと、私に「学校がつらいこと」や「孤独感を感じていること」を言語化して相談したことによって、その「孤独感」を自分の中でぼんやりと感じているときよりも、リアルになり、本当にそう在り続けてしまうのではないかと、より不安になったらしかった。

 

正直言って、息子にそんなに深い思考があるとは思いも寄らずびっくりした。

 

「そうか。そう思うんだね。お母さんは、悩みを話してくれて嬉しかったし、君自身も、話すことで少し楽になったと思っていたんだけどな」

「俺も、話した直後は楽になったと思ったんだけど、そのあと怖くなったんだ」

「そうなんだね。だけど『孤独感を感じている』と口にしたって、ずっとその状態でいないといけないわけでもないし、相談を受けたお母さんや、お母さんが伝えた先生たちだって、君が『孤独感を感じている』状態から脱することを望んでいるんだよ」

 

そう言って、そもそも感情は流れているもので、次の瞬間別の感情になるのも自然なこと。今「孤独」を感じていても、感じない瞬間を迎えることもある。ずっとじゃない。「孤独」と言ったからと言って、それに合わせた「孤独」な自分でいる必要もないよ、と伝えた。

 

私は言葉が好きだし、言語化することはいいイメージの方が強いけれど、今回のことで、言語化することによって、不自由になってしまう可能性を感じて、言語化の弱点を見た気がした。

 

「それから、昨夜、お母さんと話したのが1日の中で一番楽しかったって言ったけれど、そう感じている自分が情けないんだ」

そう言って泣いた。

私は息子の感情がまたしても入ってきてしまい、胸が痛くなった。

「学校が楽しかったと言える自分でいたいのにそうでない自分が悲しいの?」

私がそう聞いたら、息子は頷きながら、声を上げて泣き始めた。

 

以前、HSC(ひといちばい敏感な子)だったか、不登校だったかの勉強会に出たときに、「個人差はあるけれど、女の子よりも男の子の方が『自分の役割を果たせなかった』ことに対して罪悪感を感じやすい」と聞いたことを思い出した。

 

「理想な自分じゃないことが悲しいし、苦しいんだね。そっか。わかるよ。わかる」

そう言って私も涙か止まらなくなった。

 

私は女だけど、思い起こせば「役割の責任を果たす」ことに特に子どもの頃はこだわるタイプだったので、気持ちがわかった。

 

「今日も少し遅れていこうか?」

そう言って、また副校長先生に電話した。

 

1時間目と2時間目は家庭科で、途中から行くのは嫌だと言ったので、3時間目から行くことにした。しかし、いざ家を出ようとしたら、頭痛がすると言うので、もう一度相談し、結局家でご飯を食べてから、午後から行くことに決めた。

 

時間はあったけれど、こっちからいろいろ聞くと気持ちが乱れてしまうかな? とかいろいろ考えて、自由に過ごさせた。

時々呼ばれて、たわいない話をされたけれど、細かい話はしなかった。

 

午後、学校へ送っていって、先生には「もしかすると、しばらく、遅刻とか続く可能性もあります。様子を見ながら、また相談させてください」と伝えた。

私も次の日のことは分からないし、多分、息子もわからないだろう。

 

たった2時間だったけれど、ぐったりして息子は帰ってきた。

「早めに宿題して、ゆっくりしたい」

そう言ったものの、眠くなったりやる気にならなかったりで、なかなか宿題に取りかかれないようだった。

どうにかやり終えて、ゲームをしたり、笑ったりして、いつもの息子に戻ったのは、夕食の頃だった。

 

夜布団に入って、いろいろ話をしていたら旦那も加わってきた。

 

話の中で「話しかけても、反応が薄く、寂しい」と言う息子に対して「相手の反応に期待しない方がいい」と旦那が持論を伝えていた。

「どう反応するのかは、相手の勝手なんだよ。そこを期待しちゃいけないよ」

「そうなんだ」

 

「女子がきつい対応してくるのがつらい」と言う息子に対しては、今度は私が「小学校の高学年の頃は、結構、女子は男子に対してなぜか厳しくなる時期だよ。お母さんも、今更ながら反省だけど、なぜか当たりがキツくて、傷つけてしまった男子はいたと思う」などと言ったら「そうなんだ。絶対いるよ、きっと」と言った。

 

対応策として「話したい内容によって、反応が良さそうな人を選んで話す」とか、「反応が薄いのは相手の自由だから、仕方ないと割り切る」とか、言った方がいいのか、言わない方がいいのかわからないけれど、それなりに「処世術」みたいのを話したら、思いの外食いついていた。

 

息子は大人びたところはあるけれど、そうかといって、すべて大人っぽいわけじゃないんだな、年相応に、伝えるべきことと言うか、人との付き合い方については、気づいたことは伝えようと思い直した。

 

納得したのかしないかわからなかったけれど、気がついたら眠っていた。

 

そして今朝

「大丈夫だったら、今日は朝から行ってほしいなとお母さんは思っているけど、どう?」

「うん。じゃあ、今日は行ってみるよ」

 

夕方のスイミングスクールは、学校から帰ってきた様子で決める、と言うことで一応納得して学校へ行った。

 

そして、まもなく帰ってくる予定。

 

どうかな?

元気で帰ってくるかな?

 

もしも、何か一つでも学校で楽しかったことがあったらいいけれど、もしもなかったら、家で何回か笑えたらいいかな?

 

息子の本意ではないかもしれないし、理想の自分じゃないかもしれないけれど、1日の中で少しでも笑える時間があったら、きっと、これからどうにかなるよ、そう伝えたい。

 

これからどうなるかわからないけれど、今、こうして、息子と向き合って、旦那も交えて家族で話し合えることを嬉しく思う。

 

ゆっくりと、答えのない問題に取り組んでいきたい。