涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

「人の立場に立って考える」ということは実は危ういかもしれない

今日から息子が、分散登校ではありますが、学校に行き始めました。

 

28人いるクラスの出席番号の前半と後半で分け14名ずつ、8時からと10時からスタートに分けて登校することになったのです。

 

息子は今週は10時スタートのグループなので、朝は普段登校するよりは遅く起きました。

けれども、臨時休校で家にいる日々の起床時間よりは少し早めではありました。

来週の8時スタートまでに体を慣らしておかないといけないなと思っています。

 

息子は、昨晩は、「明日から学校か……」とちょっと面倒くさく感じている様子は見受けられたのですが、さほど嫌がってはありませんでした。

 

休校中に2回ほど、担任の先生から電話をもらっていたこともあり、緊張感が和らいでいたこともあるかもしれません。

 

帰ってきた息子に聞いたのですが、教室では、同じグループの出席者の机は飛び飛びに設定されていて、いつもよりも距離が離れていたようです。

 

持って帰ってきたプリントを確認したら、今年度は夏休みが短縮されたり、水泳の授業がなかったり、運動会や学芸会、また移動教室ももしかしたら中止かもしれないということもわかりました。

 

コロナの影響が大きいのだなと改めて感じました。

 

いろいろな行事がなくなってしまうことに対して、息子よりも私の方がショックを受けていることに、驚きました。

そのことから、息子の課題なのに、私の気持ちが随分入っているんだなって気がつきました。

 

しかし、何が一番大切なんだろうって思うと、息子の気持ちであり、息子の心と身体の健康なんだから、行事がなくなっても、夏休みが短くなっても、それ自体は悲しいことではないのかもしれません。

 

だけど、理由はどうであるにせよ、私自身が、残念だなって思ってショックを受けている事実はここにあるわけだから、それはそれで、俯瞰して、「ああ、息子の小学校最後の年の行事がなくなってしまって、私はショックを受けているんだなあ」と認めようと思います。

 

この臨時休校中に息子と話をしていたのですが、息子は、小学校よりも幼稚園が好きではなかったというのです。

小学校は、「勉強をする」という目的を感じて行っているようですが、幼稚園の意味がわからなかったようです。

「好きなことをして遊んでいい」と言うのなら、幼稚園ではなく、家で自分の好きなことをしていたかった、ということで……。

 

いろいろな子がいるんですよね。

 

つい、息子には感情移入してしまい、あー思うんじゃないか、こう感じるんじゃないかと自分の感情を頼りに先回りして考えてしまうのですが、その先回りが結構いい加減というか、合っていないんだな気づくことが増えました。

 

前からそうだったのか? それとも、大きくなるに連れてそうなってきたのかわかりませんが、私が予測してしまうことは、あくまでも私の予測なのだから、もっと息子が自分で気持ちを話して来ることを待ってみる必要があるのだと思います。

 

最近、何かで「人の立場に立って考える」ってことの危うさを知りました。

人の立場に、自分が立ってどう思うか? いやだと思うか? 嬉しいか? って考えて、行動しがちですが、その人が思うことと自分が思うことは、もしかしたら180度違うかもしれないわけで、そうすると、ありがた迷惑どころか、本当に迷惑なだけかもしれないんですよね。

 

そんなことを言ったら、何もできないですが、「必ずしも予測は当たらない」ってちょっと謙虚に考える必要があるのではないかと思います。

 

けれども、そうは言っても、家族の気持ちは特に予測してしまうもので……。

 

そんな時は、「私はそう予測しているんだけど」と言ってしまうか、あるいは、直接「どう思うか?」聞いてみるしかないのかなと思います。

 

本当は、「待つ」ことが得意になりたいのですがね。

 

その辺りは、私の癖もあるので、それと折り合いをつけながら、しかし、決めつけないことを注意しつつ、過ごします。