涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

家族との電話で直接言葉では伝えられなかった感謝の気持ち

久しぶりに実家に電話をしました。

約1ヶ月ぶりです。

 

息子の学校が6月1日から始まった話や、今日は、在宅ワークの旦那の週1の出勤日だという話、また、私がWebライターとして1ヶ月働いたよという話など、近況報告しました。

 

実家の両親と兄も元気だという話を聞きホッとしたり、けれども、元々悪い母の目の調子はあまり良くないとか、兄の仕事がコロナの影響を受けているとかいろいろ聞いて、一喜一憂しました。

 

話の内容はいろいろでしたが、今日は、母、兄、父そしてまた母と電話を代わってくれて全員と話をしたのが、新鮮でした。

 

中でも兄と話したのはお正月ぶりでした。

話の内容は、実家のエアコンを替えた話とか、兄の仕事の話がメインだったので、実際には話せなかったのですが、本当はしたかった話がありました。

それは、最近、「自分の存在の意味」とかを考えていた時に、実家の家族の中で過ごせたことに意味があったなと感じていたという話でした。

 

でも、「お世話になった」とか「一緒に過ごせてよかった」というよりは、私の方が、兄の生きづらさをサポートしていたような思いの方が強かったので、今の思いを言語化すると、恩着せがましくなってしまうので、言葉では伝えにくくはありました。

 

けれども、生きづらさを持った兄をサポートし、両親と兄の間に立って、家族みんなの気持ちをなだめたり、ある意味、緩和剤のようなところが私にはあったので、そのことを今までは、どちらかというと「損をしていた」と思っていたのですが、実は「存在を必要とされ、愛されていたのかもしれない」とふと数日前に気づいて、むしろ、ありがいことだったのだと思えたのです。

 

それを言語化して、誤解なく伝えることは結構難解だと思うし、下手をすると傷つけてしまうかもしれないから、今後も伝えられないかもしれないけれど、「ありがとう」「愛しているよ」というエネルギーを送りながら会話はできたのはないかと思います。

 

高齢の親に万が一でもコロナを移したくないと、家の中でも気をつけている過ごしている兄の話を聞いていると、別のところに住んでいる私が気軽に両親の顔を見に行くことはできないけれど、それでも、こうして声を聞いて近況報告し合えることに感謝し、今できることをやっていきたいと思いました。