涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

今までご縁のあった人たちみんなの幸せを祈りたくなった日

私は滅多に、過去を振り返らないし、遠くの未来のことも上手く描けない。

 

そうかと言って、今にめちゃ集中して、今を生きてるのか? と言われると、「今」を味わい尽くしている自信もない。

 

強いて言えば、「今、目の前にあることをがむしゃらにこなしながら、ちょっと先のこととか、人のこととかを考えている」状態かな?

 

理想は、「今」に集中して、今の私自身の感情を味わい尽くすことだから、惜しい状態だと思う。

 

そんな私だけれど、最近、「あのまま、もう少しあの場所でがんばっていれば良かったのかな」とか、「あの時、別の言葉をかけていれば良かったのかな……」とか、ふと思った。

 

でもまたすぐに、無理だったのだ、と感じた。

 

そうだよ、あの時の私は、私で精一杯やった。

あれ以上はどうしても無理だったのだ。

 

他の考え方や、他の方法があったのかもしれないけれど、その時の自分は、それを自分のものにすることができなかった。

 

今の私が、いくつかの選択肢を並べることができるとしても、それがなんであれ、あの時の決断があって、その後の私の経験があって、今の自分が居るのだから、タイミングが合わない。

 

過去や、人のことが気になるのは、自分自身に満足していないからなのだと思う。

満足しないまでも、自分は自分で夢中になるものがあったら、人のことを気にしている暇などないはずだ。

 

人のことをうらやましく思う時には、自分の生き方を見直そうよ! というお知らせなのかもしれない。

 

自分が楽しくないと、人が楽しそうにしているのを見ると、疎ましく感じてしまうこともあるから、まずは、自分を楽しませよう!

 

自分がいい気分でいられたら、人の幸せも願える。

人の幸せを願えたら、自分のことをちょっと好きなれそうだ。

 

足りない何かを求めるよりも、手っ取り早いのは、今「あるもの」に感謝すること。

 

そうして、ご機嫌でいられる瞬間に、私と、私の周りの人と、なんであれ、今までご縁のあった人たちみんなの幸せをまとめて祈っちゃおう。

 

過去の自分をゆるして、抱きしめよう。

時には立ち止まってもいい。

そして、また歩き始めよう。