息子の交友関係が、年々複雑になってきている気がする。
昨年度から、同じクラスだったはずなのに、昨年の今頃は、全然仲良くなくて、今年度になってから、仲良くなったふたりの友だちと、今では、学校の中で、3人で、ずっと一緒にいるという。
それだけなら、ちょっと微笑ましくて、いい感じだと思うばかりだけれど、昨年度、何かと意地悪をされて泣かされていたある男子が、先日、我が家に遊びに来たのには驚いた。
「めずらしいね。大丈夫なの?」
本当は、もっと色々聞きたかったけれど、うまく言葉が出てこなくて、もうすぐその子が来るよという状況で、不安そうに尋ねたら、息子は、
「大丈夫」
と言って、小さく頷いた。
揉め事がありませんように……別の部屋から、漏れ聞こえてくる話し声を、聞くともなく聞いていたけれど、特に何か揉めることもなく、お互い譲り合って、楽しそうに遊んでいた。
とりあえず、その日は、杞憂に終わった。
あとで聞いたところ、もう一人のお友だちと遊ぶ約束をしていたら「俺も行きたい」と言ってきたらしく、積極的に、こちらから誘ったわけではなかったようだけれど、私が、息子が意地悪をされていた当時、苦し紛れに言っていた
「意地悪をされたことは嫌だったね。でも、きっとその子にもいいところがあるはずだよ。探してみよう」
という言葉が、息子の心に響いていたようだったのは、よかったと思う。
そう言えば、あの時は
「いいところなんてない」
って泣いて訴えたていたけれど
「優しくしてもらった」
なんて、報告してくれることも、少しずつ、出てきたっけな。
そんないいところ探しの時間を通してきたからこそ、その子がうちに遊びにきても、その場では仲良くできるくらいに、気持ちは落ち着いていたのだったとしたら、それはそれでいい気がする。
もしかすると、我が子が傷ついたことを忘れられなくて、こだわっているのは、親の方だったりするのかもしれない。
そう言えば、こんなこともあった。
ずっと仲良く遊んでいた、近所の女の子と、半年くらい前にもめて、息子が謝る形で一応は仲直りしたはずだったのだけれど、なんとなく、ギクシャクして、あんまり話さなくなっていた。
しかし、今日、久しぶりに一緒に、楽しく話をしながら帰ってきたらしかった。
実は、もう一人近所に女の子がいて、その子が今日はお休みだったのだ。
でも、今日おやすみだった子とも、息子は二人で遊ぶことはたまにある。
どちらかが好きで、どちらかが嫌いというわけではないようだ。
ただ、女子が二人でいるところに、自分が入って、話をするのは苦手みたいだ。
まあ、そうだろうな。
それも、成長の証かもしれない。
ああ、しかし、よかったなあ。やはり、親としては、勝手ながらも、仲良く話す姿を見ると、安心する。
実は、もっと話をすればいいのに、と息子に話しかけるように、アドバイスしようかと密かに思い悩んでいた。
でも、そんなことしないでよかった。
話す時は、話すし、話さないからといって、仲が悪いわけではないんだ。
ここまで書いてみて、大人も一緒だなって思った。
いや、もしかすると、違うような気もする。
もし、大人と子どもが違うとしたら、子どもの方が、もっと、その時の自分の気持ちに正直で、過去の相手よりも、今の目の前の相手のことを信じようとし良好な関係を作ろうって歩み寄っているようにも思える。
これから、もっと、複雑になって、お互いに、過去のやり取りを水に流すことができにくくなっていってしまうかもしれないけれど、大人になってからだって、いつだって、相手の成長の可能性や自分の成長の可能性を信じられたら、新たな関係が築けるのだと思う。
言うは易し、行うは難し……ではあるが、子どもたちの柔軟性に学んで、私も、自分を人を信じていく道を行きたいなって、思った。