涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

息子が残雪で滑って転んで気づいたこと

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息子の中学校は今日から新学期だった。

「雪が残ってるから、慎重に歩いてね」

 

余計なことだと思いながら、気になって一声かけて送り出した。

 

新学期スタートと言っても、土曜日だから午前授業。

あっという間に帰ってきた息子が

「転んじゃった」

と言った。

 

「そうなんだ。行き? それとも帰り道?」

「帰り」

「じゃあ転んだばっかりなんだね。ケガはなかった?」

「うん」

 

肘とお尻を打ったようだけれど、制服に目立った汚れもないし傷もないようで一安心。

 

「友達といるとき? 一人のとき?」

「一人だったよ」

「転んだ様子を見ている人はいたの?」

「うん」

 

人が転んだのを見たとき、声を掛けるか迷うよね、というような話をした後の息子の一言に私は驚いた。

 

「転んだら成長を感じたんだよ」

「え? どういうこと?」

「幼稚園くらいのときは、転んだら悲しくて大声で泣いた。ダメージが回復するのにめちゃくちゃ時間がかかった。小4くらいの時は、大泣きはしないけど、涙ぐんでうるうるしちゃった。だけど今日は、泣かなかったし、50秒くらいでメンタルが回復した。まあ痛いのは痛いけど」

「そうか。そういうことか」

「メンタル強くなったと思う、俺」

「うん。すごいじゃないか」

「うん」

 

その話を聞きながら、息子が幼稚園児のとき、何かあるとすぐ泣くのを他の子と比べて私がつらく感じて

「頼むから外で泣かないで。家でどれだけ泣いてもいいから」

と言ってしまったことがあったと思い出した。

 

そのとき息子は

「泣きたくないけれど、涙が勝手に流れてきちゃうんだ」

と泣きながら言ってて、そう言われても自分もつらいし、息子にそんなことを言わせてしまったことも情けなくて、家に帰った途端に玄関先で号泣したこともあったんだ。

 

あまりにもつらくて、幼稚園の先生に

「息子はいつになったら泣かなくなるんでしょうか?」

って相談したら

「泣く子はずっと泣くでしょうね」

って言われて絶望して、号泣したら

「お母さんの人生じゃないんですよ。息子さんの人生なんです」

って喝を入れられたこともあった。

 

その頃、HSC(ひといちばい敏感な子)の概念を知ったり、子どもが泣くことに関する本を読んだりしながら、徐々に

「泣くことは悪いことじゃない」

「弱いから泣くんじゃない」

「がんばりたいけど、怖いから泣くんだ。怖いのにがんばろうとするって本当は強いんだ」

「そもそも弱いからって、悪いわけじゃないし」

「私自身が泣きたいけど泣けなかったから、泣いている子を見るとつらいんだな」

などとわかってきて、

「安心して目の前で泣いてもらえる母になろう」

って思うことができてから、不思議と

「むしろどんどん泣けばいいよ」

って思うようになれたんだった。

 

そして、私も遠慮なく泣きたいときは泣くことにしたら、理不尽な怒りもおさまってきたんだよな。

 

息子本人だって、人前で泣きたくて泣いているわけじゃないから、泣かなくても大丈夫なときは段々と泣かなくなってきて、気づいたら、ほとんど泣かなくなってた。

 

「もっと泣いてもいいのに」と思う日が来るなんて、9年前には思えなかった。

 

子育てをしていると「本当にあのときはごめんね」と言いたいことが山ほどあって、だけど、大方息子にゆるされていることに気づく。

 

親も人間だから、感情もあるし、失敗もある。

 

だから、やっぱり対話ができる関係が本当に大切だなと思う。

 

思いを伝え直すことができる関係を本当に大事したいよ。

 

そして、今日、息子が自分の成長を感じたこと、成長しているなと思えたことが嬉しい。

きっと私も少しは成長している、はず。