息子が残雪で滑って転んで気づいたこと
息子の中学校は今日から新学期だった。
「雪が残ってるから、慎重に歩いてね」
余計なことだと思いながら、気になって一声かけて送り出した。
新学期スタートと言っても、土曜日だから午前授業。
あっという間に帰ってきた息子が
「転んじゃった」
と言った。
「そうなんだ。行き? それとも帰り道?」
「帰り」
「じゃあ転んだばっかりなんだね。ケガはなかった?」
「うん」
肘とお尻を打ったようだけれど、制服に目立った汚れもないし傷もないようで一安心。
「友達といるとき? 一人のとき?」
「一人だったよ」
「転んだ様子を見ている人はいたの?」
「うん」
人が転んだのを見たとき、声を掛けるか迷うよね、というような話をした後の息子の一言に私は驚いた。
「転んだら成長を感じたんだよ」
「え? どういうこと?」
「幼稚園くらいのときは、転んだら悲しくて大声で泣いた。ダメージが回復するのにめちゃくちゃ時間がかかった。小4くらいの時は、大泣きはしないけど、涙ぐんでうるうるしちゃった。だけど今日は、泣かなかったし、50秒くらいでメンタルが回復した。まあ痛いのは痛いけど」
「そうか。そういうことか」
「メンタル強くなったと思う、俺」
「うん。すごいじゃないか」
「うん」
その話を聞きながら、息子が幼稚園児のとき、何かあるとすぐ泣くのを他の子と比べて私がつらく感じて
「頼むから外で泣かないで。家でどれだけ泣いてもいいから」
と言ってしまったことがあったと思い出した。
そのとき息子は
「泣きたくないけれど、涙が勝手に流れてきちゃうんだ」
と泣きながら言ってて、そう言われても自分もつらいし、息子にそんなことを言わせてしまったことも情けなくて、家に帰った途端に玄関先で号泣したこともあったんだ。
あまりにもつらくて、幼稚園の先生に
「息子はいつになったら泣かなくなるんでしょうか?」
って相談したら
「泣く子はずっと泣くでしょうね」
って言われて絶望して、号泣したら
「お母さんの人生じゃないんですよ。息子さんの人生なんです」
って喝を入れられたこともあった。
その頃、HSC(ひといちばい敏感な子)の概念を知ったり、子どもが泣くことに関する本を読んだりしながら、徐々に
「泣くことは悪いことじゃない」
「弱いから泣くんじゃない」
「がんばりたいけど、怖いから泣くんだ。怖いのにがんばろうとするって本当は強いんだ」
「そもそも弱いからって、悪いわけじゃないし」
「私自身が泣きたいけど泣けなかったから、泣いている子を見るとつらいんだな」
などとわかってきて、
「安心して目の前で泣いてもらえる母になろう」
って思うことができてから、不思議と
「むしろどんどん泣けばいいよ」
って思うようになれたんだった。
そして、私も遠慮なく泣きたいときは泣くことにしたら、理不尽な怒りもおさまってきたんだよな。
息子本人だって、人前で泣きたくて泣いているわけじゃないから、泣かなくても大丈夫なときは段々と泣かなくなってきて、気づいたら、ほとんど泣かなくなってた。
「もっと泣いてもいいのに」と思う日が来るなんて、9年前には思えなかった。
子育てをしていると「本当にあのときはごめんね」と言いたいことが山ほどあって、だけど、大方息子にゆるされていることに気づく。
親も人間だから、感情もあるし、失敗もある。
だから、やっぱり対話ができる関係が本当に大切だなと思う。
思いを伝え直すことができる関係を本当に大事したいよ。
そして、今日、息子が自分の成長を感じたこと、成長しているなと思えたことが嬉しい。
きっと私も少しは成長している、はず。