子育てはままならない。
それに、随分前に割り切ったはずのことが、本当は割り切れていなくて、分厚い布で覆い隠して誤魔化していたそれが、ある瞬間にむくりと顔を出す。
息子が、インドア派で外遊びをしないこと。
自転車に乗らないこと。
それらを割り切って認めて呑み込んでいたはずだったんだけど、やっぱり、というか、恐れていた通りというか、息子の同級生たちが、中学生に上がる前に、卒業した仲間で集まって、なんか楽しそうにしているのを見ると切なくなる。
しかも、それを私一人で見ているのではなく、私の横に息子が居たりする。
仲間たちと息子の仲が悪いわけでもなく、普通に遠くから手を振る仲なんだけど、だけど、そこに輪の中に入っていない事実がここにある。
わかっている。
わかっているんだ。
その中に入って笑って楽しそうにしていてほしいというのは、私のエゴで、安心したいだけだってことを。
だって、側にいる息子は平然としているんだから。
仲間に入りたいのに入れないわけでもなさそうだから。
だけど、もしもあのとき自転車の練習をもっと厳しくしていたら、今、自転車に乗ることができてみんなの輪の中にいたんじゃないだろうか?
そんな思いが湧いてきて、つい聞いてしまったんだ。
「自転車に乗れたらいいなって思わない?」って。
そうしたらやっぱり
「その話は今しないで」
と不機嫌そうに言われた。
そうだよね。
でも、ごめんね、それでも母は、自転車に乗れたら、君の世界がどんなに広がるだろうかと夢見てしまうんだよ。
平然としている君が、本当になんとも思っていないのではなく、少し寂しいのではないかと想像してしまうんだ。
ついつい、余計なお世話をしようとしてしまうんだ。
だけどわかっている。
君の問題だ。
君から相談がなければ、私は出る幕はないことを。
だけど……
だけど……
その思いを振り切るように、ズンズンと歩を進め、君と一緒に買い物をしたね。
いつまで一緒に買い物に行けるだろう。
君が「もう一緒に行かない」と言いそうにないことも少し不安だけど、なんの前触れもなくその日はくるのかもしれない。
だからそれまでは、時に、言い合いをしながら、それでも笑い合って、一緒に歩こう。
前までは、私が何を言っても笑っていた君が、笑うか笑わないかを取捨選択するようになったことに母は気づいているよ。
君のことは、本当はとても心配だけど……
信じて見守ることを意識して選択し、母も母として、成長していきたいと思っている。
小学生でも中学生でもない今の君との時間を大切にしたいと思っているよ。
それでも時々うるさいことを言ってしまうと思うけれど、君の幸せを願い、祈っている。