会員制の文章執筆サロン「ふみサロ」に参加しています。
ここでは、課題本を読んで、エッセイを書き、月に一回会員が集まって合評会を行っています。
今月は「バンクシー関連本」でした。
その中で私はこちらの本を読みました。
こちらが、今回の私のエッセイです。
読んでいただけると嬉しいです。
『バンクシーからのメッセージ』
「バンクシーって知ってる?」
つい最近、小6の息子にそう聞かれて初めて、有名なストリートアーティストなのだと知った。
ふいに目の前に現れた覆面アーティストのバンクシーの世界に興味を持った。
にわかファンと化した私は、横浜で開かれていたバンクシー展にも行って「風船と少女」とか「Love Rat」の絵を見て可愛いなと思った。また、バンクシーについてのムック本を読んで「彼は、美しい作品を後世に残したいのではなく、世界中の人が、バンクシーの作品を通して、見ている景色や社会が美しいと思えるようになってほしいと願っているようだ」と知って、すごいなと感じた。
だけど、なんだか落ち着かないのだ。
何か後ろめたさのようなものを感じる。
なぜだろうと思ったら、私自身が社会のいろいろな問題を見て見ぬフリをしていることを自覚させられるからだと気づいた。
世の中の戦争や難民問題について自分とは離れた世界のように感じ、また資本主義社会について疑問を持たずにいることを白日の下に晒されてしまうような感覚。
このままでいいのだろうか? そう思うこともあるのだけれど、考えないでいるほうを選んでいる。
「正解は1つではない」ことにたどり着いたのは大人になってからだった。けれど、今度は「いろいろな考え方がある」ということに甘えて、「自分の頭で考えること」を放棄している気がする。
考えているようで、それは「どう振る舞うか」「どう見られるか」を考えることに多くのエネルギーを使っている。
だからこそ「自分はこう思うのだ」と、壁にステンシルをあてスプレーを吹き付け表現する青年のことがとても輝いて見える。
少し胸が痛い。
でも本当にバンクシーは、自分の頭で考えないからと、私のことを責めているのだろうか? そう疑問に思って、彼の作品をもう一度見てみると、別のメッセージが聞こえてきた気がした。
考えるのではなく、自由に感じていいのだ。問題に囚われるな。もっと遊べ、と。