涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

湧き上がる不安を、青空が「大丈夫」と包んでくれた日

ニュースで周知の通り、息子の小学校も来週の月曜日から春休みまで臨時休校になった。

 

「PTAの総会が中止になった」と聞いて、その影響で、PTAの活動費の精算を委員の人に連絡して早めてもらいバタバタして、やれやれと思っていた昨晩、飛び込んできた全国一斉臨時休校の要請のニュースに愕然とした。

 

「え? どうなっちゃうの?」

何かわからないけれど、とてつもない何かが起こるような気がして不安な気持ちになった。

そして、その後、PTAの会計として何かまた対応しないとけないことはないだろうか? と考えたら、いくつかあって、今度はそのことで頭がいっぱいになった。

とはいえ、はっきりとした情報は今日の午後にならないとわからないと知り、頭を冷やし心を落ち着けるためにも公園を散歩することにした。

 

雲ひとつない青空が、人間がウィルスに右往左往していることを静観しているようにも感じた。

けれどもそれは、決して冷たくはなく、大丈夫だよと言われているような気がして少し心が落ち着いた。

心なしか、いつもよりも自然を体感できた気がする。

もしかすると、少なからず生命の危機を感じている今、何かと神経が研ぎ澄まされているのかもしれない。

 

少し気持ちが落ち着いたら、来週からの息子の家での過ごし方が気になった。

こうして、混んでいない広い公園を散歩することは別に問題ないかな? と思ったり、あ、家で本を読むのもいいなと思って、図書館に行った。

本当は本人が探して本を借りるのがベストだけれど、どこぞの自治体では子どもは一時的に図書館に入館できないというニュースが頭をよぎり、とりあえず、私セレクトの本を何冊か借りておくことにした。

図書館は、新型コロナウィルスの関係か、いつもより閑散としていた。

確かに図書館も「人が集まる場所」だ。

 

ティーンズコーナーに行って「なるにはシリーズ」を見た。

押し付けてはいけないが、息子の興味から、「建築家」という職業も視野に入れてもいいのでは? と最近思っているので手に取ってみた。

クリエイティブな仕事の本もいいかもしれない。

それから、宇宙についてのQ&Aの本と、漫画の描き方の本、鉄道関係の本は3冊借りた。

全部で7冊。

もしも気に入らなかったらすぐに返せばいいや。

 

その後、スーパーに行って食材を買った。

ところが、である。

いつもの食品売り場が平日の午前中だというのに、なんだかとても混んでいるのだ。

買い物を続ける人々から、私と同様の何か不安な想念を感じ取った。

不安だと「今買っておかないと」という気持ちに誰もがなるのだろう。

多くの人がカゴいっぱいに買っていた。

東日本大震災直後の時に感じたソワソワ感を感じた。

 

必要なものを必要なだけ……そう思いながら、私もいつもより少し多めに買ってしまった。

おそらく不安からの行動だと思う。

 

冷静な自分と、そうでない自分が相まって、なんだかまた落ち込んだ気分になってしまった。

 

しかし、スーパーから出るとそこにはまた青空があって、こんな私でもゆるしてもらえた気がする。

 

午後に自治体からメールが来て、やはり来週の月曜日から「臨時休校」に決まったことがわかった。

PTAの用事があって、また学校へ行き親しい先生に会ったから

「まさかの事態になりましたね。先生方、対応されるの大変ですね。お疲れさまです」

と言った。

すると

「いやーお母さんたちの方が大変ですよね。毎日お子さんを見ないといけなくなって」

そう言われて、あ、確かにそうかもしれないと思った。

夏休みと違って、そうそう出かけられないから、充実したインドア生活を考えねば、そう思ったら、またちょっと不安になった。

 

一足先に家に戻り息子の帰りを待っていたら、息子はいつもと変わらなかった。

私よりも冷静かもしれない。

 

その後も、PTAの役員の仲間や、卓球部の仲間とLINEで話し、「大変だけれど、どうにか乗り切って、また4月に元気に会おう」と言い合ったことでまた少し心が落ち着いた。

 

一喜一憂とは、今日のような日のことをいうのだろうか。

いちいち揺れて疲れたけれど、ずっと落ち込んでいるよりは、少しは笑ったし、楽しいこともあったり、ホッとした瞬間もあったからいいのかもしれない。

 

半世紀近い人生の中で、いろいろなことがあってその都度心は揺れたけれど、それでも今日までどうにかやって来たのだから、きっと今度も大丈夫だろう。

そんな根拠はないけれど、心を強く持てる何かを支えに、注意深さを持ちつつも、楽しむことを忘れずに過ごしてみようと思う。

 

家に帰って、