今、久しぶりに電車に乗っている。
明治神宮からの帰りだ。
ひとりで行動している。
これも久しぶり。
息子が臨時休校になった3月2日以来かもしれない。
本当は息子と一緒に行くつもりだった。
「人混みは避けて」「不要不急の外出は避けて」そう言われているけれど、マスクと消毒薬でウィルス対策しつつ、神社参拝だけしてトンボ返りだったらたまにはいいのではないか? という自己判断だった。
あまり乗り気ではない息子に、数日前から根回しし、一緒に行くと言ってくれてたのだけど、出発の1時間前くらいに、
「どうしても行かないとダメ?」
と聞いてきた。
「どうしてもというわけじゃないけど、私は行くから、嫌だったら留守番してくれてても良いよ」
そう言ったら、
「留守番している」
と答えてきた。
「わかったよ。だけど、逆になぜそんなに行きたくないの?」
2人で行く気満々だった私が少し残念に思い聞くと
「最近お腹の調子がイマイチだからいつトイレに行きたくなるかわからないから」
そう言われてハッとした。
そうだ。
息子が外出先のトイレにナーバスだったことをすっかり忘れていた。
しかし、私は、もう久しぶりの遠出の計画に気持ちが100%いっていたから、中止にするわけにはいかなかった。
多分、このまま行かないことにしたら、約2週間ほどの澱のように溜まった我慢やら不満やらが部屋中に充満し、ちょっとしたことで爆発してしまうだろうと思われた。
「そうか、わかったよ。でもお母さんはどうしても行きたいから行ってくるね」
昨日、「一緒に明治神宮へ行ってくれると約束してくれたから特別にお母さんがプレゼントするよ」と言って買ってあげた書籍のお金をお小遣いから払おうとしたから、迷ったけど、受け取らなかった。
私に合わせて一緒に行こうとしてくれた気持ちは確かにあった。だけど、やっぱり行きたくないと思った、そして約束を守れなかったことを悪いと思いどうにかして解決しようとした気持ちはわかったから。
もしかすると、お金を受け取った方が本人がスッキリするのかもしれないけれど、私が昨日、息子に本をプレゼントしたことがなくなり、せっかくの素敵な本が嫌な思い出になってしまうのも嫌だったのだ。
もう、そんな形でプレゼントするのはやめよう、プレゼントするならなんの交換条件もなく素直にプレゼントしよう、そう思った。
そんなわけでまもなく最寄駅だ。
明治神宮は思いの外、人がいた。
外国人の方が多かった。
観光場所が軒並み休館していて、神社参拝くらいしか行く場所がなかったのかもしれないし、これでもいつもよりは空いていたのかもしれない。
私は家からマスクをしていたが、人がいないところでちょっとだけマスクを取ってみた。
空気が美味しかった。
参拝した後、有料のエリアの「明治神宮御苑」へ寄った。
清正井(きよまさのいど)をどうしても見たかったのだ。
明治神宮御苑の中を足早に歩きながら、どうして私は息子に留守番をしてもらってまで、ここに来たかったのだろうか? と考えた。
仕事でもなく、やむごとなき理由でもないのに留守番をさせてしまった少しの罪悪感が私を足早にさせたのだけど、考えてもどうしても来たかった理由は思いつかなかった。
ただ、来たかったんだ。
そして、今、来ることができているんだ。
足元を見つめ、ただ感謝しようと思った。
コンビニで何か買って帰るよとメッセージを息子に送ったら、グミが良いと返事が来た。
図らずも、1人きりの時間をお互い過ごせたから、結果的にはよかったのかもしれない。
この臨時の休み中、息子と仲良くは過ごしているが、なんとなく窮屈な思いがあり我慢しているところがあったけれど、それはお互いさまなんだな、きっと。
自粛モードで、どこまで自粛すべきかわからないけれど、できる範囲でリフレッシュして、支え合うところは支え合い、家族とも、ウィルス対策とも、うまく付き合っていきたいものだと思った。