涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

大好きな先生が異動になると知り、思い出したこと

今日、息子のスイミングスクールの付き添いで同行した。

レッスンの終了時間ごろロビーで息子を待っていたところ、息子と同じ小学校に通う児童のママたちの話し声が聞こえてきた。

「S先生、異動みたいだね」

「えーそうなんだ! ショック」

 

そうか。

4月1日付で東京都の教職員の異動は、インターネットで調べられるって聞いたことを思い出した。

話の輪に加わりたかったけれど、顔見知りのママは1人しかいなかったのでさすがに遠慮した。

 

「どうやら先生の誰かが転勤みたいなんだよ」

ロッカーから着替えて出てきた息子にそう言ったけど、S先生らしいとはその場では言えなかった。

S先生は、息子の大好きな先生の1人だったからだ。

S先生が異動だとママたちが言っていたのが聞き間違いたっだらいいなと思いながら、家路を急いだ。

 

家に帰ってきてから、パソコンで早速検索した。

残念ながらS先生を含んだ5人の先生たちが異動されたようだった。

しかも、来年この先生だったらいいなって息子が言っていたN先生もその中に入っていた。

「S先生とN先生も異動みたい……」

他の3人の先生の名前と共に息子に伝えると

「あー何でだー」

と少し冗談っぽく言いながらも残念がっていた。

「命の恩人だったのにー」

命の恩人か……。

少し表現は大袈裟ではあると思うけれど、本当に大好きで、S先生には心を開いていたから息子のショックは大きいだろうと思う。

というか、私がショックだ。

 

S先生は、2年前、息子が3年生の時の担任の先生だった。

いつも笑顔でハキハキと話すとても素敵な先生だった。

息子が繊細なこと、不安を感じやすいこと、それらを丸ごと受け止めてくれた上でプラスに受け取ってくれた。

息子が先々を心配して

「次の休み時間に先に準備しておいた方がいいでしょうか?」

「明日は、これを持ってきた方がいいでしょうか?」

などと先を見通せなくて不安な時に質問に行くと、いつも

「そうだね。いいよ。そうして」

と言った後に

「さすがだね、よく気がついたね。先のことに気がついて準備しようとする姿勢が素晴らしいね」

と褒めてくれたのだ。

息子がクラスメイトに嫌がらせをされて、学校に行き渋った時も

「そうか。それは嫌だったね。嫌な時は『嫌だ』って言っていいんだよ。だけどもしも、『嫌だ』って言えない時は、いつでも先生に話してね」

そうやって気持ちに寄り添ってくれたから、息子は心強く感じて、次の日から元気に登校出来るようになったのだ。

面談の時にHSCという概念をご存知かどうかを尋ねたことはあったけれど、それは知らないようだった。

でも、概念は知らなくても、対応は息子に寄り添ったものだったので、保護者としては本当に心強かった。

 

それ以外にも、親子してお世話になったことがたくさんあった。

4年生の時の担任の先生に息子が馴染めなかった時も、さすがに直接は介入できなかったと思われたけれど、それでも

「先生は1年生の教室にいるからいつでも話にきていいんだよ」

と息子に言ってくれていた。

クラスが変わったのに、甘えすぎてはいけないと思いつつも、PTAの仕事で学校に行き廊下ですれ違った時などには、私が先生に息子の成長したことを伝えると一緒に喜んでくれた。

PTAの卓球の試合にも、メンバーが足りないと言ったら助っ人で出てくれたっけ。

本当に本当に心の温かいいい先生だった。

 

寂しい気持ちを持ちながら、息子と一緒に年初に配られる先生紹介の広報誌を4年分集めてみた。

すると、息子が1年生の時の先生紹介の一覧の先生のほとんどがもういらっしゃらないことに改めて気がついた。

 

そうか。

そうだよね。

先生たちは4年とか5年すると異動してしまうものなのだ。

出会いがあれば別れがある。

寂しいがそれは変えられないんだ。

 

思えばクラスを受け持ってもらっていなかった1年生の時に、下駄箱から自分の教室に行けずに泣いていた息子を手を繋いで慣れるまで毎日のように連れて行ってくれたのもS先生だった。

「今日も眼鏡の先生に連れて行ってもらった」

そう言っていた息子の言葉が懐かしく思い出される。

 

そう考えると4年間、影になり日向になり見守ってくれていたことになる。

先生に出会えて幸せだったんだ。

 

別れは本当に寂しいけれど、息子と私を支えてくれたS先生が新しい学校でご活躍されるように願おう。

 

突然の別れになってしまったけれど、5月の離任式でまたお会いできるはずだ。

PTAの役員として、式に参加できることは幸運だ。

おそらく、息子も私も泣いてしまうと思うけれど、ありがとうを心から伝えられる機会をもらえることに感謝しようと思う。