涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

婦人科の精密検査の結果を聞くまでに感じた違和感

今日、婦人科に行った。

子宮がん検診の精密検査の検査を聞きに行ったのだ。

 

結果は……とりあえず、今のところ大丈夫ということだった。

ホッとした。

 

力が抜けていくのを感じて、やはり、緊張していたんだと思った。

 

1週間前、精密検査をして、診察室を出る時

「検診にひっかかっちゃったと思って、落ち込んでいるかもしれないけれど、もし、精密検査でも異常が出たとしても、順を追って治療していけば大丈夫だから、あんまり、心配しないで」

そう、声をかけてくれた婦人科の先生は、さすが、私の、気持ちを正確に読んでくれていた。

10年前に切迫流産を起こした時も、不安でいっぱいの私を厳しくも温かく励ましてくれたっけ。

 

年に数回しか会わない先生ではあるけれど、婦人科というデリケートな場面で接する人として、本当に絶妙にありがたい存在だ。

 

今日は、子宮の入り口にできていたポリープを取って治療は終わった。

その検査の結果を来週聞きに来るように言われて、病院を出た。

 

空の色が、ワントーン、明るく感じた。

 

年齢を重ねると、だんだんと、体にも不具合が出てくる。

その不具合に気づくと、ああ、生身の人間なんだなって改めて感じる。

 

先週、ガンの可能性を示唆されて、正直参った。

 

思わず、自分の今やっていることや、この先、1年くらいの見通しを考えた時、「自分のため」というよりは、「人のため」「誰かに感謝されたいため」にやっていることが圧倒的に多いような気がした。

もちろん、それらを引き受けようと、決めたのは私であり、引き受けたからには、精一杯やるつもりなんだけれど、なんだか、これらをずっと続けるのは、本意ではない気がしたのだ。

 

今日、とりあえず、今のところ大丈夫だと、わかったところで、ホッとし、では、予定通り、「人のため」「誰かに感謝されたいため」にやっていることで、埋め尽くされた日常に戻っていいのか? と自問自答し、否、それでは嫌だなと思った。

 

もちろん、すでに引き受けているもの、引き受けると決めたものは、一定の期間は、尽力しなくてはならないと思う。

しかしながら、それだけではなく、生活の中に「自分のため」の時間を作り出し、浸透させた方がいいし、そうしたいと思った。

 

では、「自分のため」の時間とは何だろう?

 

笑うことなのか? 感動することなのか? 書くことなのか?

 

正直、もう少し考えてみないとわからない。

 

しかし、このままでは嫌だと思った違和感を大切に、どう生きるかについて、今一度、考えてみたいと思う。

 

「人のため」と「自分のため」がイコールになったら、それこそ、最高だと思うから、その共通点を探ってみたいと思う。