今朝、ふと「普通」っていう概念って、実態がありそうでないなって思ったんですよね。
例えば、100点と0点、80点と20点といったいろんな点数の人がいて平均点が50点になるわけだから、実際に50点の人が意外にいなかったり、
平均的な人がいたとしても、その人は「普通」を意識して合わせにいっているだけかもしれない。
もしかしてそんなこともあるのかな? と考えていたら「流れるプール」を思い出したんですよね。
流れるプールっていっても、どこかの施設のそれじゃなくて、小学校とかで先生が
「みんな、時計回りで回ってー」
とか指示して、自分たちの動きで作る方の「流れるプール」だけど。
それを、小学校の低学年の時はどうやってこの流れを作っているんだろう? 機械かな? とか思ったほど、あの流れは強力で、逆らおうとしても無理だったんですよね。
そしてある時、その流れを「自分たち」で作っているんだと気づいたら、なんか「すごいな」って思ったんですよ。
で、その時の感動は大事にしたいんだけど、今は、ちょっと「怖いな」とも思うんです。
何がって「人が自分たちで流れを作って、それに逆らうことが難しいこと」が……。
でもその流れを作っている「人」というのは、本当は「個性豊かないろんな人々」なんですよね。
人は誰でも素晴らしい個性を持っていて、誰にでもいつでも可能性があるんだってことをつい忘れがちだけど、
「流れるプール」ではモブキャラだったり、エキストラと感じてしまうかもしれないけれど、
「平均的な」「普通の」人っていうのは実はいないかもしれなくて、いたとしても無理に合わせてにいっているかもしれない。
だから、
一人ひとり、もっと自分そのものを愛して、自分の可能性を信じたり、自由になってもいいんじゃないかなー
それができたら本当に素敵だろうなー
って、今朝、卵焼きを焼きながらふと思ったんですよね。
とはいえ、それが簡単なようで結構難しくて、なかなかできないんだけど……。
人に合わせることや社会に擬態することが必要なときもあるけれど、1日の中のひとときだけでも、自分に素直に正直に向き合ったり楽しめる時間を持つことを続けていけたら、そんな日常を積み重ねていったら人生が彩られるかもしれないなと思ったりしました。