私も、旦那も、ときどき「ひとり時間」を必要とするタイプなのだけど、この前、その「ひとり時間」の過ごし方の特徴が違うということに気がついた。
正確に言うと、私が気がついたのではなく、旦那が気づいて教えてくれたのだけれど。
旦那は休日一定時間、一人で外出する。
その多くは、近くの喫茶店に行って、書き物をしたりして「考えごと」をするためだ。
家にいると気持ちが煮詰まってしまうらしい。
その時間を持つことで気持ちがリフレッシュできるなら、大歓迎で、快く送り出している。
私も平日の昼間に「ひとり時間」を持つのだけれど、もっぱら、公園を散歩する。
できるだけ人がいない空間に行きたいと思う。
そうかといって、人が嫌いなわけではなく「人と話すこと」でリフレッシュすることもあるんだけど「ひとり時間」はできるだけ本当に「ひとり」になりたいのだと感じる。
旦那に聞いたところ、旦那は「人がいないところ」ではなく「雑踏の中」にひとりでいたいそうだ。
私も「映画館」や「本屋」には行きたいけれど「雑踏」だと困る。
「ひとり」を感じられる場所であり、そこにいる人たちもほぼ「ひとり」の状態が好ましい。
二十歳の頃、ひとり旅をしてとても充実した気持ちだったけれど、三十歳の頃どうしても白神山地に行きたかったからひとりでツアーに参加したらとても寂しかった。
大勢の中に「ひとり」でいることは孤独を感じるものだなと思った。
「ひとりきり」はいいけれど、「ひとりぼっち」を感じるのは嫌なのかもしれない。
どっちがいいとか悪いとかはないけれど、こうして「ひとり時間」の過ごし方ですら、捉え方が違うんだなと再認識。
リフレッシュ法も違うんだな。
良かれと思って気持ちに寄り添ったつもりでも、その人のためにならないこともあるわけだ。
お互いに感性、好みをできるだけ尊重して暮らしていきたいものだと思った。