涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

義実家の人々

今日は旦那の実家にお正月の挨拶に行ってきました。

と言っても、いつものように、ささやかなお年賀を持っていき、お寿司とおせちをご馳走になり、息子にお年玉を義母と義兄からいただき、4時間くらい滞在して帰ってくる……といったお正月の恒例行事なのですが……。

 

義兄は現在未婚で義母と2人で暮らしています。

約10年前に義父が亡くなったあとも、私たち夫婦が変わらず、県外で暮らしていけているのは義兄のおかげであり、とても感謝しています。

だからこそ、「月に1回孫の顔が見たい」と言う義母の希望をなるべく叶えるべく、片道2時間ほどかけて実家に顔を出しています。

ですが、それだけでは足りないほどの恩義というか後ろめたさを抱えているのも事実です。

 

義母にも義兄にも感謝しているのは本当の気持ちなのですが、私たちは次男夫婦ということで、義母や義兄の言葉使いや態度などに圧を感じることも多々あります。

 

「よくしてもらっているから」

「お世話になっているから」

「文句を言わずに、感謝しなければならない……」

 

そう言った思いの奥に、

「そうは言っても、あの言われ方はきつかった」

「決めつけないでほしい」

そう言った思いも、実はあるのです。

 

義実家を出た帰り道

「実は、今日、ちょっと傷ついた瞬間があった」

そう、旦那に言いました。

「うん、わかるよ。どの時かわかる」

旦那が言いました。

「俺も、嫌だなって思った時があって、もう帰りたくなった」

今度は息子が言いました。

「わかる。あの時でしょ?」

私が言うと、息子が頷きました。

「それぞれ傷ついたね」

 

帰り道、息子が腹痛を訴えました。

お腹を下してしまいました。

ストレスを感じたからかもしれません。

 

何があったのかというと、息子が私に小さい声で、あることを聞いてきたのですが、それを見て

「そうやって小さい声で話すのやめて」

と義兄が言ったのです。

多分、内緒話のように捉えてやめるように言ったのだと思うのですが、息子は、あまり慣れない場所だと小さい声で私に話しかけるところがあるのです。

息子が、義実家の人たちに対して、あまり心を開いていないのは事実です。

だけど、「心を開け!」と言ったところで違うと思い、私はできるだけ、義母や義兄と話すようにしているのです。

それを見て、いつか心を開いてくれたらと思っているのですが、なかなか「親しみ」を強要はできず、今に至っています。

だから、きっと義兄は寂しいのだと思うのです。

もっと親しんでほしい、きっとそう思っているのだと思います。

でも一方で息子は、2人のちょっと圧のある詰問のような話し方や、間違いを許さないというか、何か違ったことを言ったら笑われるような雰囲気が嫌で、会話のキャッチボールがしにくいのだと思うのです。

 

家に帰って夕食時にまたその話になりました。

私はなんと言っていいかわからず、定まらぬまま

「おじちゃんは、きっと、君が嫌いでそういう言い方をしたわけじゃないと思うよ」

と言いました。

「うんわかってる。だけど、つらかったんだ。そのせいでお腹が痛くなったのかもしれない」

息子が言いました。

「そうなんだね。だけど、小さい声で2人で話していることを内緒話と捉えて嫌がる人もいるから、もしできれば、できるだけ、少し大きめに話すとかを、お父さんの実家に行った時は心がけた方がいいのかもしれない」

と私が言いました。

旦那は

「もっとおじちゃんが多様性を認めてくれたらいいんだよな、本当は」

と言いました。

 

今も正解はわかりません……。

 

私が傷ついた件は大したことではないのですが、会話を発展させようと思って、あることを言ったのですが、正論を刺されてしまったことがあったんです。

確かにそうなんだけど……そうすれば良かったけれど、でも別にあなたに迷惑をかけていないし、と内心、憤慨してしまったのです。

 

けれども、私も、息子も、そこで

「その言い方不愉快です」

とは言えませんでした。

態度でも伝えることはできませんでした。

 

多分、「感謝するべき人だから」と思っていたからです。

 

だけど……不満はあるのです。

 

私にとって良かったことは、その不満をひとりで抱え込まず、分かち合える家族と分かち合ったことです。

息子にとってもそうかもしれません。

 

そうしたら、私は少し冷静になりました。

 

「感謝すべき」から、「感謝したい」に変わりました。

また、「人は完全ではない」という思いも湧き上がりました。

それに「私は多様性を認められる人になろう」「正論で詰める人にはならないようにしよう」と思うことができました。

 

2人の言い方はきついけれど、お正月に、お寿司やおせちを用意してくれて迎え入れてくれることは我々を大切に思ってくれているのだと感じます。

 

好きという感情ではなく始まった義実家の人たちとの「家族関係」には、良いばかりの感情が湧くわけないですね。

嫌だなと思うこともあって、当然。

それを表現するのか、飲み込むのか、一旦飲み込んで即座に吐き出すのか、それはケースバイケースだと思うのですが、大切な旦那と血の繋がった人たちですから、そこはできるだけうまくやっていきたいと思います。

 

だから、不満を吐き出したあとは「感謝の気持ち」を持って過ごしたいと思います。