涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

神社に呼ばれて行ってみたら!?

今日ね、あるところに行って来たんですよ。

 

なぜか、行きたい。行ってみたい。行かなくちゃって思った場所なんです。

 

それは、千代田区の九段下にある神社。

 

ちなみに靖国神社ではありません。

 

九段下の駅の案内図に名前すらない神社なんですが、数日前から行ってみたいと思ったんです。

 

それは、築土神社(つくどじんじゃ)です。

 

なぜ行ってみようと思ったかなんですが、ここ数ヶ月、ゾロ目をよく見まして。

いろいろなゾロ目見るんですが、特によく見るのは「44」。

 

でね私の好きなYouTuberのお一人で、もっちーさんという方がいるんですが、その方によると「4」という数字は、瓊瓊杵尊ニニギノミコト)にまつわる数字なんですって。

 

で、ニニギノミコトが祀られている東京にある神社は築土神社だと知ったんです。

 

ちなみに「4」という数字は「安定」っていう意味があって「波風を立てて個性を主張していくっていうよりは均衡を保ちみんなが一緒に協力したりする感じ」っていう意味なんですって。

 

youtu.be

 

確かに結構ひとりでいることが好きで、自分で何かやってみたいと思いつつもなかなか行動できないけれど、仲間と一緒にやるときに逆に自分の個性が活きて役に立ったりしてうまくいくことって多いなーって思います。

 

その神社、一度行ってみたいなーと思っていたところ、今日は晴れたし、息子も学校へ行き、旦那も会社へ行ったんで、昼ごはんも作らなくて済む、ちょっとだるいけど行ってみるか! となりました。

 

何も予備知識なく行くのもちょっと心配だったので、即席ながら、ネットで神社について調べると、なんと、祀られているのはニニギノミコトだけではないことがわかりました。

 

平将門も祀られているのか!なんと!

 

将門と言えば、学生時代に首塚をお参りしたことがあり、少し怖いイメージがありました。少し不安になったのですが、でも、なぜか行った方がいい気がしまして、今日行ってきたわけです。

 

心にしたがって行動すると、何かあるのかなー? ドキドキワクワク! ってな感じで行ってきたのですが、結論から言うと、何か大きな出来事があったわけではありませんでした。

 

ただ、なんて言うか、誰かに言われたわけでもなく、そうかといって自分が「意味」を見出したわけでもない、けれども、なぜか、足の向く場所に行っているという事実、そこまでの道のりがなんだか心地よかったのです。

 

最近は「頑張ればできるかもしれないけれど、頑張れない、頑張りたくない」みたいな心持ちになることが多く、何か決心する場面でも決めることができずに、先送りしていることが多いのです。

 

直近、大して頭を使ったわけじゃないのだけれど、積み重ねていた「正解はどっち?」「どっちが得?」っていうアンテナが疲れてきちゃったというか、いや一応、アンテナはキャッチするんだけど、それに従う体力がないというか、なんか疲れてきちゃってて。

 

そうかといって何もしないと不安になっちゃうところがあるから、意味なく、けれども、誰かの言いなりになっているわけでもなく行動できたことが心地よかったのかなって思いました。

 

おみくじを引いたのですが、大吉でした!!!

 

内容はざっくり言うと「最初は心配事があるかもしれないけれど、希望を捨てず立ち上がり神に委ねれば、後には平和が訪れる」みたいな感じでした。

 

この「委ねる」っていうのが結構簡単そうで難しい……。

 

道すがら「人間って、弱いけれど、実は強いよな」ってある意味矛盾を感じていました。鋼のように固くはないけれど、柳のように吹かれても吹かれてもしなやかに曲がって折れない感じでしょうか。そんな強さを持ちたいというか、実は誰しも持っているだなって、ぽっかりと浮かぶ雲をみていたら思えてきたんです。

 

自分の中の黒い部分とか弱い部分とか、そういったものも含めて、自分を認めたくて、最近、そっちばかりみていた気がします。ある意味「ありのままを認めること」に固執し無理していた感じです。

 

「いいところばかりではない」というのは事実だし、大事なんだけど、でも、そっちばかりでもないんですよね。

 

白い部分も強い部分が私にもあるんだって、今日、気づけました。

 

私も捨てたもんじゃない。

もちろん、私だけに限らず、みんな、人類、全員ですがね。

 

光ばかり見ていると、後ろにある闇が気になって、偽善みたいに思えてしまうこともあるけれど、そうかといって闇ばかりでもない。

闇があるってことは、確実に、光があるんだ。

 

そんな風に思えました。

 

今日という日、正確に言えば、午前中の数時間だけど、それでも、何かを考えるのではなく「思考の休み時間」を持ったら、ニュートラルな自分が表れて、忘れていたことを思い出させてもらった気がします。

 

とは言え、結局完全には「思考」は休んでいなかったけれど、「思考」に「ひらめき」がいい塩梅に合わさって、元気をもらえた気がします。

 

行った先に何かがあったわけではなかったけれど、トータルでとてもいい時間でした。

 

とても眩しかったのですが、写真を撮ったらなかなか素敵だったので、記念に載せておきます。

 

f:id:tearsmile24:20200909143126j:image

 

午後はちょっとやるべきことがあるので、やりますね!

ぼちぼちと。