涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

父の入院の手続き〜娘の役割〜

父が昨日緊急入院したので、今日母と一緒に入院手続きをしてきた。

30分かけて実家に荷物を取りに行き、母と一緒に電車とバスを乗り継いで病院へ行ってきた。

 

大部屋を希望していたのだけど、「もしかしたら細菌を持っているかもしれない」ということで、今父は個室に入院している。

こちらの希望で個室になっているわけではないので、差額ベッド代がかかってしまうわけではない。

ラッキーにも思うけれど、隔離が必要でそうされていると考えるとあまり嬉しくはない。

腸の動きが停滞しているので、とりあえずは点滴で水分を確保しつつ、便が出るのを待つらしい。

便の検査をして細菌がいなければ大部屋になるらしいけれど、細菌がいたら個室のままのようだ。

 

主治医の話を聞くと、おそらくそんなに症状は悪くはない、ということでホッとした。

けれど、緑内障で視野が狭まり視力も弱っている母に代わって書いた書類に「83歳」と書く度に、客観的には父も老人なのだと感じて楽観はできないなと少し冷静になったりもした。

 

持ってきた着替えをどこに置くのかとか、トイレに行く時に点滴の管に引っかからないようにとか、父と母が思いやりつつ揉めているのを静かに聞いていた時、また、後から来た兄が父と熱く話しているのを黙って聞いていた時、ああ、私は、この家族の中に生まれて、いつも調整役だったのだなと改めて思い出した。

 

誰かが熱くなれば、静かに冷めて、誰かの肩を持つのでもなく、「何と発言すれば、この場が収まるのか」ばかり考えていたなとこの4人で一緒に暮らしていた頃の感覚が蘇ってきた。

 

懐かしく心地よいというよりは、半ば息苦しく感じた。今の旦那と息子との暮らす空気感の方が心地よいからかもしれない。

そうかと言って嫌悪するほどではなく、けれどもずっとそこに居たい気もせず、

「息子がもう直ぐ帰ってくるから」

そう言って先に帰ることにした。

 

外に出て乗る予定のバスに間に合うように小走りしていた時には、父の病状のことは、脇に置いていた。

それよりも、旦那の仕事のことや、息子の運動会の練習での疲れについて気になり始めていた。

 

少し自分のことを薄情に感じつつも、父には、母と兄がついているという安心感を感じたことで、父の突然の入院という空気から少し解放されたのだと思い込むことにした。

実際に、父の顔をみて少し安心したということもあるかもしれない。

 

確実に、娘という役割から、母、妻の役割にバスの中で代わっていた。

 

ここ数日、娘だったり、妻だったり、母だったりの役割の時間が多い気がする。

 

そう思うと、社会的な役割ではなく、一人の人として生きたいと思う気持ちがむくむくと湧き上がってくる。

けれども、一方で、どこかで社会と関わっていたい自分もいる。

役割はないよりあった方がいい。

 

父の顔を見る前に、もしも、父の命が後もう少しだったらと思うと、胸が痛かった。

もっと話をしておけばよかったなんて思っていた。

けれども、実際に顔を見て安心したら、話す言葉を探そうともしなかった。

 

矛盾というか、あまのじゃくというか。

 

特にあったかい人柄でもなく、かと言って冷たすぎもせず、程度にぬるいやつだなと自分のことを思った。

 

家に帰ってから運動会の練習で疲れた息子にゼリーとあんぱんと、布団を準備して迎えた。

そして、スイミングスクールに連れていって、夕食を作り食べて今ブログを書いている。

 

完璧ではないけれど、頑張ったな私。

 

非の打ち所のないほど立派ではないけれど、少なくとも、近くにいる人にとっては、そこそこ役にも立てた。

だから、こんな人間がいてもいいかもしれないと思う。


80歳を過ぎ父の入院の頻度が高まっている。

その都度、復活しているが、少しずつガタは来ている。

他人なら客観的に見られるけど、実の親は不死身なのではないかと感覚的に思えてくる。

幻想に過ぎないのだけど、いつまでも、たわいないことを話していたい。