一昨日の夜、息子は38.4度の熱を出し、昨日は小学校を休んだ。
そのため、昨日私が行くはずだったPTAの集まり(印刷などの作業をするための)に欠席する旨を連絡し、息子のスイミングスクールに欠席の連絡をした。
その後、遅く起きた息子に朝食を食べさせ、着替えを促し耳鼻科に連れて行った。
熱は37度に下がっていたものの、もし可能であれば自動車で連れて行ってあげたいところだった。
しかし、我が家にはマイカーがない。あったとしてもペーパードライバーのため私は乗れない。行くとすればタクシー。
ところがタクシーで行くほどは遠くはない。
自転車の後ろにももう大き過ぎて乗せられない。
無い無い尽くしのため「ゆっくり歩いて行く」ということを選択するしかなかった。
少しだるそうだったけれどどうにか歩けそうな距離ではあった。
これ以上高熱の時は、タクシーでもう少し遠い小児科に行ったかもしれないけれど、今回は大量の鼻水と喉の痛みが強いようだったので耳鼻科を選択した。
高熱の時、簡易の車椅子があったらいいななんてちょっと思った。
「喉がすごい赤いね。扁桃腺が腫れてる。熱はそのせいかと思うよ」
耳鼻科でそう言われて「溶連菌感染症」の検査をされたら「陰性」だった。
ホッとした。
「溶連菌感染症」にもしなっていたら、それはそれで薬を飲んで養生するしかないのだけれど、10日間薬を飲み続けた上に、4週間後に尿検査もしなければならず、結構長引くのだ。
とはいえ「溶連菌感染症」だとわかることは、もしかかった場合むしろラッキーで、「喉が痛い」と子どもが言っても受診ぜずにわからず過ぎてしまった後合併症の「リウマチ熱」や「急性球体腎炎」という病気を併発して入院することになる場合もあるらしい。
実際息子のクラスメイトがそうなった時があった。
結構長い入院生活だった。
だから、余談だけれど、お子さんが喉の痛みを訴えた時は、小児科や耳鼻科を受診した方がいいと私は思っている。
で、今回は、「溶連菌感染症」ではなかったので、もしも熱が下がって食欲もあれば翌日学校に行ってもいいと言われて、今朝、平熱に下がったので、今息子は学校に行った。
さっき帰ってきた息子は「暑い」とは言っていたけれどそれは気温が高いせいだったし、鼻水がまだ出てはいるけど元気そうでホッとした。
話は戻るが、昨日息子が学校を休んで半分くらいは寝ていたんだけれど、だんだんと元気になってきて、夕方にはとても退屈そうだった。
さすがにゲームはまだやって欲しくなくて、でもYouTubeを見るなら少しくらいいいかなと思ったんだけど、それでも時間が余っていつもより会話をした。
実は最近「間違えること」について息子と話していて図書館で『教室は間違うところだ』蒔田晋治・作 長谷川知子・絵 子どもの未来社 を借りてきたところだった。
- 作者: 蒔田晋治,長谷川知子
- 出版社/メーカー: 子どもの未来社
- 発売日: 2004/04/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この本は、ネタバレにもなってしまうのだけど、「教室はまちがうところだから、みんなどしどし手をあげてまちがった意見や答えを言おうじゃないか。まちがうことなんかこわくない」といった内容であり、「まちがったものをわらっちゃいけない」という言葉も出てくる。
で、息子も、私も読んだ後話したのだけど、
「実際に、間違った発言した時にそれを笑う人っている?」
って私が息子に聞いた。
そうしたら
「1年生の時に勇気を出して手をあげて発言した時、まちがったら『違いまーす』って大勢に言われてざわざわしちゃったことがトラウマになって、それから手をあげにくくなった」
って息子が言った。
「えーそうだったの?」
小5の息子の担任の先生との面談で、最近
「授業中手をあげて発言しています」
と聞いていたので、
「最近、また手をあげられるようになったのは、なんで?」
と聞いてみた。すると……
息子「もう5年だし、みんなもそれほどざわざわしないだろうと思って」
私「へー。間違えても今は平気?」
息子「いや。自信があるのしか答えてない」
私「あ、そうか。とはいえ、お母さんもやはり、間違えたくない、できるだけ」
息子「でも国語は『まちがい』ってなくない? どう思うかだから」
私「確かに。算数は、正解があるけどね」
息子「うん」
なんとも、結論が出ない会話ではあったけど、「息子が小1の時勇気を出して手をあげたこと」、そしてそれに「深く傷ついてなかなか手をあげにくくなったこと」は知らなかった。
私「じゃあ、まちがってもいいんだよ。まちがった答えを言っても笑わないよ、みたいなメッセージを担任の先生がいい続けるのって結構大事なんだね?」
息子「うん。そう思う」
……ということで、もしも、手をあげるのが不安そうなお子さんがいらしたら、さりげなくこの本を読み聞かせてあげるのもいいかもしれないと思った。
とはいえ、教室の空気もあるし、先生が「正解」を求めていたらなかなか手はあげにくいかもしれないけれど……。
それなら、せめて親が「間違えてもいいんだよ」って言ってあげられたらいいなと思う。
そんなことを言う私は「正解」を求めがちな子どもだったし、大人でもあるけれど、「間違えてもいいんだよ」「正解がないものもあるんだよ」というメッセージを子どもの頃にもっと受けていたら、もう少し柔軟な頭になっていたかもと思ったり……。
だけど、結構時間がかかったけれど、今、そう思えるようになったわけだからよしとするか(^^;;