「実は、子どもと接するのがあまり得意ではないんだ……」
そう言うと、結構な割合でびっくりされる。
「あ、息子と同じタイプの子は、息子で慣れているから大丈夫なんだけど、活発なタイプの子はちょっとどう接していいかわからなくて……」
そう続けて苦笑いするけれど
「へー意外」
とか言われてその会話は終わる。
学校の中にある放課後に子どもが居られる場所、通称「ひろば」は、「学校応援団」という有償ボランティアの方が中心になって運営されている。
一方で、現在小学校に通っている保護者にも声がかかり、希望者が時給をもらって手伝うことができる。
そこで一緒に働かないかと何度か誘われることがあったのだけれど、声をかけてくれた気持ちだけは有り難くいただき、誘いは断っている。
母であっても不特定多数の子どもと接することが苦手な場合も、ままあるのだ。
しかし、最近ちょっとした気持ちの変化があった。
それは、だいたい毎週金曜日に我が家に息子が友だちを連れてくることがきっかけになったのだと思う。
インドア派の息子は、ゲームをするために友だちを我が家に招待するのだけれど、我が家にくる子はだいたい決まっている。
その子たちがうちに来ると、まず挨拶をし、遊び始めて少し経った頃私がお菓子とお茶をみんなに持っていくことが多い。
すると「ありがとうございます」と言われる。
そのあと「もうすぐ5時だから」とか「もう5時半だし暗くなるから帰った方がいいよ」とか声をかける。
すると、それから5分もしないうちに「さよなら」と言って帰る子どもたちに「気をつけて帰ってね」とか「またおいで」とか言って見送る。
接触といえばそれだけなのだけれど、それだけでも顔を合わせることが増えてくると、不思議と親近感が湧いてきたのだ。
こっちが親近感を持って接すると、すごく気を使っていた子が気を許してちょっと子どもらしくわがままを言ってきたり、学校で嫌なことがあったんだと泣いて話をしてくることも出てきた。
そんな時どう対応していいか、まだよくわからない。
「ひろば」のスタッフさんはどう声をかけるのだろう?
そう考えたところで、正解はないのかもしれない。
だけど、わからないなりに、目の前の我が子以外の子に、息子に対するように「私はこう思う」と言ったり、背中をさすって共感したりすればいいのかなって思ってどうにか対応している。
そうした後に笑顔が見られるとホッとする。
もしも、また、一緒にひろばで働かないかと誘われても多分断ると思う。
息子の友だちのおかげで少しだけ「我が子以外の子ども」への免疫はついたけれど、やはり対応を考えすぎる私にとって、それを仕事とするには荷が重いから……。
だけど、例えば、この前も思いがけずまだ0歳の赤ちゃんを抱っこする機会を得たり、小さな子が頼ってきてくれたり、息子の友だちが本音を話してくれたりすると、子どもって素晴らしいなって思うことができて嬉しい。
「実は、子どもと接するのがあまり得意ではないんだ……」
と言う言葉の中に、あまり子どもと接することが好きではないというニュアンスが実はあった。
そして、そのことに後ろめたさを感じていたけれど、今は、子どもと接することは好きまではいかないけれど嫌いではないと言えるくらいまでになった。
それは、息子が生まれてきてくれたこと自体やお友だちと接することになったこともとても大きいと思う。
けれど、それと同時に「子どもを子どもとしてではなくひとりの人としてみる」という今まで頭でわかっていたことが腑に落ちてきて、心で感じることができてきたからかもしれないと思う。
どう接するか迷った時に、「子ども」だからということではなく、人にどう接するかということを考えると自ずと自分の答えが出て来るように思えてきたのだ。
とはいえ、子どもだからゆえに配慮しないといけないこともあって、まだまだ胸を張って対応することはできないけれど、ほんの少しだけ私も成長させてもらった気がして嬉しいのだ。
明日も終業式が終わってから息子の友だちが我が家に来ることになっている。
小4の男子が複数集まると、どうしてもきな臭い雰囲気にもなるけれど、年度末だしできるだけ仲良く笑い声の絶えないゲーム大会になるように、母として、温かく適度な無関心を装いたいと思っている。