涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

山田ズーニーさんを知ったタイミングが今だったこと

山田ズーニーさんを昨日初めて知った。

 

きっかけは、コルクラボというコミュニティの一泊二日の合宿で、山田ズーニーさんの文章表現講座のワークショップに参加して本当に良かった! という投稿が、Twitterで流れて来たからだった。

 

コルクラボとは、「挑戦する足場となる居場所づくりの重要さを認識し、丁寧にコミュニティづくりをしようとする仲間が集まっている場所」ということだ。

 

私がコルクラボを知ったのは、現在参画中の「HSC書籍制作」主催のkokokakuさんがコルクラボに入ったことによって、自分でコミュニティを作ることにした! と聞いたからだった。

それを機にコルクラボやコルクラボに関わっている方々のTwitterをフォローさせてもらうようになっていた。

コルクラボに参加している方々の投稿から、刺激をいただくことも多い日々だったが、昨日は本当に大収穫だった。

 

山田ズーニーさんのお名前は聞いたことがあったけれど、物書きになりたいと思っている人間としては恥ずかしいが、男性か女性かも知らなかった。

 

昨日、「そんなに感動的なワークショップを開催する山田ズーニーさんってどんな方なんだろう?」って思って、検索して、あ! っと思った。

お顔に見覚えがあった。

以前手にした「宣伝会議 編集・ライター養成講座」のパンフレットの表紙に載っていた女性だった。

 

この方が山田ズーニーさんなんだ……。 

そんな感動するワークショップ私も参加してみたい!

そう思って、検索すると、そのワークショップはとても人気があり、2年待ち以上になる可能性があるため、「ウェイトリスト」も締め切られているらしいと知った。

残念。

それならば、せめて本を読んでみようと思ったけれど、昨日買ったばかりの本が2冊もあり、躊躇した。

あ、そうだ! YouTubeとかに映像はないだろうか? そう思って、検索すると、“書く力”という15分くらいの動画があった。TED×WasedaUで話した時の動画らしかった。 

 

舞台の上で話し始めたズーニーさんの声は、朗読するように滑らかに、しかしご自分の言葉で熱く、私の心にまっすぐに入ってきた。

 

“自分に問い、考えることが大事”

 

そのあと、ズーニーさんの連載の記事を拝見したら、文章がまた良かった。

 

今日、理由はわからないけれど、気持ちが落ち着かなかった。

午前中にどうしてもしなければならない用事を済ませたあと息子が学校から帰ってくるまで、家中にバラバラに散乱していた書類が無性に気になって、整理をすることにした。

その時、またYouTube山田ズーニーさんを検索すると、何年か前のラジオの録音がアップされていたので、それを聞きながら作業した。

 

その時の話も良かった。

表現が丁寧で、例えもわかりやすく心に届きてきた。

 

いいな。

私も、こんな風に表現してみたいな。

 

以前「思考が浅い」と友人に言われたことがあった。

ショックだったけれど、今になって納得できる。

 

考えているようで、それほど深くは考えていないのかもしれないと思う。

 

問う。

 

そうだ。自分に問うことを真剣にはできていないのだ。

 

どこかで逃げている。

そう思う。

 

ラジオの中で「本当の自分ではない気がする」人の話があって、ドキッとした。

 

私も心のどこかで、「本当の自分はこんなものではない」という風に思っている。

 

でもそれは、自分の嫌な部分、不甲斐ない部分、思い通りにならない部分を認めていないことなんだとわかった。

 

これは、私の自己肯定感の低さにも通じている気がする。

 

全てひっくるめて自分。

ダメな自分も認めることから始めないとな……。

 

山田ズーニーさんのワークショップ、ますます気になるけれど、今のところすぐには受けられそうにない。

 

しかし、とても不思議なのは、山田ズーニーさんを知ったタイミングが今ということだ。

もっと早く知ってもおかしくなかったはずなのに、なぜ今なんだろう。

客観的な文章を書けるようになろうとしていた矢先に、山田ズーニーさんを知ることができて、主観的な文章も、もっと深く考えながら書いてみたくなった。

 

書籍を読んだり、自分に問うて深く考えることを心がけて文章を書いていこうと思う。

それと同時に、客観的な文章も書けるように訓練もしたい。

 

自分の力不足にここ数日打ちひしがれていたけれど、 もっといろんな文章を書いてみたいと思うことができた。

 

もっと前に知ることができたら良かったとも思ったけれど、今知ることができたらこそ、心に響いたのだとしたら、嬉しい。