涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

隣のおばあさんの引越し

隣に住んでいた年配の女性が引越しをされた。

正確に言うと、息子さんのご家族と同居することになったようだ。

数年前に85歳だと言っていたので、おそらくもう87歳か88歳かそのくらいになるのだと思う。

 

1年くらい前に、共同玄関のところで転んでしまって、腕の骨を折ったかヒビが入ったかでしばらく見かけなかったことがあった。

入院していたのか、あるいは親族のうちに行っていたのか、2週間くらいして戻ってきた。

顔を見たときにはホッとしたっけ。

 

前からリュウマチがあるんだと言っていたけれど、その時からヘルパーさんがくる頻度が増した気がする。

ゴミ捨て場にゴミを捨てに行くのも大変だということで、行政に相談したらしく、ごみを収集する作業員の方が特別に家の前に取りに来ることになっていた。

行政ってそんなことしてくれるんだ! と驚いたことを覚えている。

 

重たい買い物とか大変だろうなと思っていたけれど、どこまで介入して良いかわからず、ヘルパーさんも来ているしと思って特別声はかけなかった。

何か頼まれた時以外は声をかけなかったのだけれど、それでよかったのかどうかは今でもわからない。

 

温かい時期には時々玄関先でお会いしていたけれど、冬は本当に滅多に会わなかった。

なんとなく聞こえる生活音で、元気にしているのだろうと想像だけしていた。

 

今から10日くらい前に偶然玄関先で会った。

笑顔で元気そうだったけれど、体を動かすのが難儀といった感じだった。

私が買い物から帰って来た時、彼女は近くの和菓子屋さんにお茶菓子を買いに行くところだったようだ。

「じっとしててもね、お腹は空くのよ。おやつを買って来るわね」

そう言って笑っていた。

それから、

「お肌が綺麗ね。若いっていいわね」

って言ってくれた。

私も40代も半ばだから、そうそう「若い」なんて言ってもらえる年ではないけれど、88歳の彼女からすると、充分若いのだろう。

会うといつも言ってくれて恐縮していたのだけれど、悪い気はしない言葉だった。

 

腕を痛めてから、割と頻繁に少し離れた土地のナンバーをつけた車が彼女を訪ねて来ることが増えた。

息子さんだった。

 

一週間くらい前にもその車がきて、彼女が一生懸命に乗り込もうとしていた姿を見た。

 

本人は私に気がつかなかったので、そばにいた息子さんに「こんにちは」とだけいって家に入ったけれど、もしかして……とは思った。

 

昨日、朝インターフォンが鳴って息子さんが挨拶に来られた。

遅く起きてまだ顔も洗っていなかったので、旦那に出てもらったのだけれど、

「今日、引き払うので業者が入ります。今まで大変おせわになりました。今は一緒に住んでいます」という話し声は聞こえて来た。

「そうなんですね。ご丁寧にありがとうございます。でも、よかった。一人だと心配ですよね、転んだりしたら」

旦那が挨拶していた。

 

しばらくして、業者が来て洗濯機や箪笥などの生活道具を引き取りに来ていた。

なんだか急に寂しくなった。

 

頑張ってひとり暮らしされていたんだよな。

 

腰が痛いと言ったときに、ベットメイキングに行ってお米を研いであげたこともあったし、薬局に薬をもらいに行くのを手伝ったこともあった。

郵便局からの通知の意味がわからないからと言って持って来たから、その通知の意味を説明したこともあったけれど、それは隣に住んでいる約5年くらいのほんの一部の時間だったに過ぎない。

 

もっと何かしてさしあげることがあったような気もするし、私にも生活があるから何か頼まれたときに応えるだけで精一杯だったとも思う。

 

いろんな事情があって、5年くらい、もしかすると、他の場所でもっと前からひとり暮らしをしていたのかもしれないけれど、今回家族が「一緒に住もう」と思ってこうなのだからそれでいいんだなきっと。

 

何年か前に玄関を出たり入ったりしていた彼女にどうしたのか訪ねたら、息子さんが来るはずなのになかなか来ないんだと言っていたことがあったことを思い出した。

「もしかしたら道路が混んでいるのかもしれないですね」

そう言ったら「そうね」と言って笑って家に入っていったのだけれど、そのときにいつまでも母親って母親なんだなって思った。

 

これから、慣れない土地だし、お嫁さんとかお孫さんとの関係とかいろいろ事情もあるかもしれないけれど、できれば笑顔でほっとして日々を過ごしてくれたら嬉しいなと隣人として思う。