改めて言うのも何ですが、この世の中には「正解のない問題」が溢れていますね。
そんなの当たり前だと言われるかもしれませんが、私は、そのことを肌で感じたのは、息子が生まれてからです。
「子育て」を通して、体感しました。
そして、先日、「介護」にも「正解がない」と知りました。
これほど、「正解がない問題」が溢れているのに、私や、もしかしたら、一部の人がその解決方法が苦手な理由は、学校では「正解がある問題」ばかり解いてきたからかもしれません。
「正解がある問題」ばかり解いてきたから、「正解のない問題」を前に、はたと立ち止まってしまい、解けなくて、ガックリしたり、自信をなくしてしまっています。
そんな私が、少し前に出会い、そして、先日も、もう一度聞いて、本当にそうだなって思った言葉は、「不完全で生きる勇気」です。
幻の「完全」を目指して、辿り着けず、落ち込むことの多いこと、多いこと……。
より高みを目指すのは、悪いことではないけれど、辿り着けないからといちいち落ち込んでいたら、それこそ、勿体無い気もします。
反省はしても、自分のことは責めすぎずにいたい! そうも思います。
そして、今日、また、気づきがありました。
ある子育てにまつわる講演会に参加して、その質疑応答の時間に、私は、長い間悩んでいた次の質問を投げかけるチャンスともらいました。
それは……
“親として我が子の将来に必要だと思って習わせたり、やらせていることを子どもが嫌がっている場合、継続させるのか、やめさせるのかの判断が難しいです。
子どものためなのか、親のエゴなのか、迷ってしまう時に、その判断基準はありますか?”
もちろん、私は、息子のスイミングについてイメージして聞きました。
嫌がる息子を私の意志で通わせていることに罪悪感すら感じています。
それでも、せっかくここまで泳げるようになったのだから、あともう少し、私が納得する「クロール」と「平泳ぎ」まで泳げるようになるまではやめさせたくない気持ちが強いのです。
でも、迷いもあります。
どんな答えがもらえるんだろう?
ドキドキしながら、回答を待ちました。そして、スッキリしました!
その方の回答はこうでした。
「小学校低学年までは『楽しくすること』がとても大切だと思うのですが、だんだんと人生には『嫌でもやらないといけないこと』があるので、それがあるというのを教えるのも、意味があると思います。子どものことを、一人の人間として尊重すれば、親のエゴとかはあまり考えなくてもいいと、私は思いますよ」
私は、自分なりに考えて、いいと思ってやりながらも、自分の考えに自信が持てなくてグラグラしていました。
だけど、それで、いいんじゃないか? と言われた気がして、気持ちが少し楽になりました。
そして、また思ったのです。
ああ、自分で一生懸命に考えて、決めたことは、自信を持ってやっていいんだ!
逆に言えば、ある意味覚悟を持って、やり通さないといけない面もあるんだととも感じました。
もちろん、決めたからといって、途中で違うと気がついた時には、方向転換する必要はあると思いますが、自分と違う意見を、見聞きする度にグラグラするのも違うなって感じたのです。
私の場合、心の中にある「失敗したくない」という気持ちが強いけれど、先ほどの「不完全で生きる勇気」を持って、真剣な気持ちで子育てに取り組めばいいんじゃないかと思えました。
最近、今までに増して、自分の「親として」そして「人として」の至らなさを痛感する場面が多いのですが、それでも、それらの「経験」を積み重ねながら、泣いたり笑ったりしながら歩もうと思います。