パートをひと月で辞めた、私なりの事情
1月6日に初出勤した会社を1月31日を持って退職した。
私にとって、今まででいちばん早く退職した記録である。
ひと月……といってもパートだから、実質会社に行ったのは計12日間だった。
けれども実は「辞めたいと思います……」という2日前まで、辞めようとは全く思っていなかった。
いや、全くではないかもしれない。
ただ、ひと月で辞めようとは、思っていかなったと思う、多分。
自分の仕事が遅いのは自分自身知っていた。
勉強不足なのも、周りが見えていないことも。
そしてそれらを不甲斐ないと思っていた。
だから、どうにか頑張ろうと思っていた。
けれども、その職場に居ることが息苦しいほど、諸々になぜか追い詰められていたから、「まずは、自分のペースで少しずつできることを増やしていこう」という小さな目標しか立てられなかった。
恥ずかしながら、それが精一杯だったのだ。
けれども、あることがきっかけでその日は雇い主から注意を受けた。
おそらく我慢していたのだろう。
それは怒涛の勢いだった。
そのきっかけとなる出来事への忠告と共に、このひと月に彼が見過ごしていた、あるいは、腹に据えかねた思いをどっと伝えられたのだ。
その中には、おそらくそう思っているであろうと私が予測していた私に対する低い評価も入っていたし、それ以上のぐさりと刺さる言葉も含まれていた。
「申し訳ありません」
小さくなって私が言うと
「別に怒っているわけではなく、働く者の姿勢として当たり前のことを言っているだけ」
雇い主はそう言った。
「わかります。おっしゃる通りです」
私はそう言うしかなかった。
もっともキツかったのは、私が一つひとつ報告したり確認したりする仕事の仕方を「人の時間を奪っている」と言われてしまったことだった。
言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。
けれども、それを今禁じられてしまうと、踏ん張れないと思った。
さらに
「この会社のスピードに合わせてもらわないと、バランスが悪い」
と一刻も早くスピードをあげることを要求されて、もうダメだと思ってしまったのだ。
その日の夜と、翌日の休み一日いっぱいを使って、考えた結果、今、私ができることは「一刻も早く辞める」ことだった。
そんなことで?
そう思う人もいるだろう。
けれども、残念ながら、その時の私には踏ん張りきれなかった。
辞めると決めるにあたって、信頼できる人数人に相談した。
私の気質や性格をよく知るその人たちは、「判断するのはあなた自身」と言いながらも、客観的に、辞めることも肯定してくれた。
そのことが私を安心させてくれた。
続けることが大切、簡単に投げ出してはいけない、そんな思いも確かに心にあったから、辞めていい、逃げていい、そういう答えもあるよと言ってもらえたことは救いだった。
「辞めたいと思っています」
そう告げた時に、雇い主は呆れていた。
いろいろと叱られたし、人としてどうかとも言われた。
でも、申し訳ない気持ちよりも、逃げることで自分を守る方を選択させてもらった。
目の前の人にがっかりされたり、ひどいやつだと思われることに慣れていなくて、そのことにも傷ついた。
けれども、傷つきながら、自分も相手を傷つけているのだということもわかった。
退職届を受け取ってもらい、挨拶をして、退職することはできた。
雇ってもらったこと、なんだかんだと言いながらもすんなりと退職させてもらったこと、そのことには感謝している。
いろいろあったけど、要は「合わなかった」ということなんだと思う。
それでも、やっぱり心は消耗した。
多分、身体も。
昨日は、PTAの作業があって忙しかったからなんとなく気が紛れたのだけど、今日は、本来仕事に行こうと思って予定を開けていたのでぽっかりと時間が空いていた。
家の掃除をしてもいいのだけれど、家にいるよりも、外に行きたい気持ちになった。
それで、いくつかの候補から「等々力渓谷」と「等々力不動尊」に行こうと決めた。
我が家から電車で小一時間。
駅から程なく歩いたら、等々力渓谷への入り口があった。
階段を下り、川沿いを散歩していたら心が少しずつ落ち着いてきた。
元々、せせらぎの音が好きで、水の流れを見ていることも好きなのだけど、改めて、私は、この川の流れのように淀みなく流れていたいのかもしれないと感じた。
暖かく天気も良くて、川面に落ちた木漏れ日が美しかった。
自然に触れることで心が元気になれそうな気もした。
ただ、思いの外、たくさんの人が散策をしていて、ベンチに座ってぼんやりとすることがなんとなくできなかったのが残念だった。
明日もPTAの作業があるので、人と会いながら、わちゃわちゃして時間が過ぎていくと思う。
人との時間、自分だけの時間、それぞれ大切にしながら、今一度、私は何が好きで、何者で、これからどうしたいのか、考えてみたいと思う。