昨日、ちょっとびっくりしたことがあった。
まあ、息子の話を聞くと、考え方が、小学4年生当時の私と違う気がして、毎回ちょっとびっくりはするんだけれど……。
昨日びっくりしたのは、好きになれなかった担任の先生が、まあ、好きにまではなっていないにしても、嫌ではなくなったということがわかったからだ。
先生が嫌で学校に行きたくないと言っていた日々もあった。
ほんのひと月半くらい前のことだ。
昨年お世話になった先生が好きすぎて、どうしても比べてしまうようだった。
今の担任の先生があまり好きではないという子は、息子以外にも結構いるように思っていたし、親として、どうしたものかと思っていたのだけれど……。
実は、先生のことが云々の前に、息子が、今、同じ班のある女の子のことを苦手に思っているということが、息子の話からわかった。
話を聞いていると、息子の怒っている気持ちがわからなくもないけれど、同じ年のクラスメイトに対して求めすぎというか、まあ、そういったこともあるよという感覚だった。
しかし、その話の中で、気になることがあった。
理科の実験の時に、その女の子が電池の一部がめくれているのが気になって、先生にそれを伝えに行ったらしかったのだ。
だけど、先生は、忙しいのか、気がつかなかったのか、対応をしてくれなかったそうで、
「先生に無視された」
と怒りながら席に帰ってきたようだったのだ。
その時、息子が
「先生はいい人だから、もう一回行ったら、きっと聞いてくれるよ」
と言ったそうなのだ。
しかし、その女の子は
「いや、絶対に聞いてくれない!」
と言い張ったことが、息子は気に入らなかったようだったのだ。
「決めつけるんだよ」
と言いながら、家で号泣していた。
まあ、号泣するには、他に伏線があったので、このことだけで号泣したわけではないのだけれど。
で、私が、驚いたのは、息子が、先生のことを「いい人だ」と言ったことだった。
ほんのひと月半前は、嫌いだと言っていたのにだ。
確かに、息子が、先生に何かを言いに行った時に、この女の子に対するように、先生が対応してくれなかったり、息子の言いたかったことを正確に理解してくれなくて、チグハグな対応をされたと行って、怒って帰ってきた時もあった。
だけど、その時、私は、息子の不満に思う気持ちを受け止めたあと
「もしかしたら、忙しかったのかもしれないよ。それに、言葉ではっきり伝えないと伝わらないこともあるし、伝えたところで、正確に伝わらないことも、大人になってもあるものだよ。いろんな人がいるから、前の先生と対応が違うかもしれないけれど、きっと今の先生にもいいところがあるはずだよ」
って苦し紛れに言ったことはあった。
まあ、時間が経って「慣れてきた」というだけのことかもしれないし、息子自身の成長なのかもしれない。
それか、私が言った言葉の何かが、息子の心の整理の何らかの役になっていたのかもしれない。
全員のことを好きになることは無理かもしれないけれど、それでも、担任の先生のことが、嫌いでない方が何かといいなと思うので、とりあえずは、よかったということにしよう。
しかし、子どもの「好き」「嫌い」はコロコロ変わるものだ。
だからと言って、それらの気持ちはないがしろにはしたくない。
だって、一瞬一瞬の気持ちは、本物だと思うから。
けれども、一度「嫌い」と言ったからと言って、「嫌い」「苦手」と決めつけて、それらを遠ざけてしまうことも危険だなって思った。
「好き」もまた然り。
子どもの言動に振り回されながらも、勉強させてもらっているなとありがたく思う。