涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)中1ひとりっ子男子の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る40代主婦のブログ

新しい職場に違和感を抱いて気づいた「生きづらさ」と「ちょうど良さ」

HSP(ひといちばい敏感な人)やHSC(ひといちばい敏感な子)について知って久しいけれど、自分自身がもしかするとHSPかもしれないと思ったのは結構最近のことだ。

 

ずっと長い間、私自身はあまり敏感な人ではないと思っていた。

息子、旦那、兄、母と、周りに敏感な人が多すぎることもあって、相対的に、私は敏感ではないと思っていた。

 

学校だったり、会社だったりの社会と呼ばれるものに、大した違和感も持たずに暮らしていたし、周りと合わせることにさほどの苦労も感じていなかったから、まさか自分がそんなに敏感な人だとは思っていなかったのだ。

 

ところが、最近、自分と合わない職場で働くことになり、違和感を抱いたまま働き続けることは絶対に無理だと感じて、すぐに退職した。

 

そのことを通して、私が今まで働いていた場所は、自分に合っていたか、あるいは、私のペースを尊重して、ゆっくりと育つのを待ってくれる恵まれた環境だったのだ、と気づいた。

 

自分に合わない職場、環境、ペースというものがあるんだなと知った。

 

今まで生きてきた中で、あまり「生きづらい」と思ったことはなかったのだけれど、この歳になって初めて「生きづらい」と感じた気がする。

 

いや、もしかすると、子どもの頃「生きづらい」って思っていたのかもしれない……。

 

意識していなかったけれど、中学生の時、学級委員に何度も推薦されて、胃が痛くなって病院に行ったことはあった。

「嫌だったら、断ってもいいんだよ」

そう医師に言われて泣いたこともあったっけ。

 

ずっと成績がいい状態でいないと自分に価値がなくなるように思って、苦しかったのも中学生の時だった。

 

いい人でいないと、優等生でいないと、自分に価値がなくなってしまうと思っていたこと自体が「生きづらさ」だったとしたら、とうの昔に、私は「ありのまま」では居られなかったのかもしれない。

 

幸い、高校、短大と当たり障りのない成績で過ごし、気が楽になったから、思い詰めることはなかったけれど、それと同時に、「頑張れていない私」に少しの後ろめたさもあったと思う。

 

銀行に入行し、仕事は大変だったけれど、長い時間をかけて育ててもらったから、「正確に処理をする」という部分が気質と相まって、約13年長く勤められたのだと思う。

 

その後の仕事で4年間と長かったのは、通信教育の添削だったけれど、これも締め切りはあり縛りはあるものの、作業自体はある意味自分のペースでできたものだった。

 

そう考えてみると、私は、本来はのんびりと自分のペースで行動できることが快適な人であり、その時の方がリラックスして朗らかに過ごせるのだと思う。

しかし、それと同時に、「頑張っている状態」の自分のことが誇らしく、そう在りたい願望も結構強くあるようだ。

 

その二つの状態が両立する仕事や活動ってあるだろう?

 

私にとって「ちょうど良い」状態というのは、「自分のペースで自然と頑張りたくなる夢中になれる何かに取り組める状態」な気がする。

その状態こそが、今、私自身を安心させ、充実させるもののような気がする。

 

年明け早々、事情があったにせよ、短期間でパートを辞めることになり、少なからず落ち込んでいる。

「合わなかったのだ。それだけだ」

と思ってみても、やはり自分の至らなさが思い出されて悲しい気持ちにもなる。

 

でも、家族や、友だちや、学びの仲間が居てくれること、またその人たちが、私が職業を失ったとしても、失敗したとしても、私の人間性を否定せずに温かく接してくれることで、ああ、私はここに居てもいいのかもしれないと思わせてもらい救われている。

 

やはり人は、そこに自分が存在する価値を認められ、そのことを伝えてくれる人たちと過ごせることでエネルギーをもらえるのだと感じる。

 

まだ、乗り越えてはいないので、大きなことは言えないのだけれど、きっと、私が尽力できる場所はどこかにあって、頑張れる時もまたやってくると信じたい。

 

今は、まだ、霧の中にいるように、はっきりと何も見えない状態だけれど、それでも、立ち上がり、足元に見えるひとつ一つの課題に取り組みながら進みたい。