先日、仲間と一緒に都内の庭園にアーシングに行ってきました。
アーシングとは、裸足で大地を歩いたり手で土や木々を触って、地球と直接繋がることです。
アーシングすることで、身体の電気を地面に逃すことができるそうで、友達に「すごく気持ちがいいよ!」と教えてもらったので、一緒に連れて行ってもらいました。
連れて行ってもらうと言っても、本当なら、ひとりで近くの公園でもどこでも、土や原っぱを裸足で歩けばいいのですが、ひとりだとちょっと心細いというか勇気もありません。道に生えている木に触ってみたいなーと思っても、つい人目を気にしてしまいます。
約束の場所へ行って、みんなが集まり、園内に入ったあと、気づくと仲間たちが裸足になっていました。
私は、芝生のどこか拠点みたいなところに着いたら裸足になるのだと思っていたので、びっくりしました。友達曰く「もったいない」とのことで、早く裸足になりたかったようです。
ちょっとドキドキしながら私も裸足になりました。
実際に芝生を歩き出すとちょっと足裏がチクチクしました。
みんなは何も言わずに歩いていたから、痛くなかったのかな?
私は、足裏健康法みたいに身体のどこかが悪いから痛いのかなーと思ったり……。
そのうち杉の木の下に行ったのですが、そこでは、もっとチクチクしました。
みんなは楽しそうです。
「そのうち慣れるよ。最初は痛いかも」
友達が言ってくれたように、だんだんと慣れてきました。
不思議な感覚でした。
敷物も持って行ったのですが
「直接芝生に座った方が、地球とつながりやすいってよ」
と言われ、そうしてみました。
すると、アリが足に登ってきたりまた下って行ったりしました。
最初は払っていましたが、じっとしていると、アリの方が「間違えた」と言わんばかりに降りて行きました。
こんなに近くでアリを見たのは久しぶりです。
芝生に座って友達の誘導で瞑想したのですが、ミンミンゼミの鳴き声とツクツクボウシの鳴き声が合わさっているところに、冷たい風と温かい風が入れ替わり立ち替わり吹き入れ、大地そして空とつながったような気持ちになりました。
その後、木に触ったり、また芝生に寝転んでただ風や光や大地を感じていたりして、「何にもしない」ってこういうことかと味わうことができました。
それと、もうひとつ「これが遊びなのかな?」って感じた瞬間があり、それがとても尊い気づきでした。
つい日常の中では、やるべきことをやって、そして、少し時間が空いた時に、例えばゲームとか本を読んだり、ネットを見たりするんだけれど、好きなことやっているはずなんだけど、何か物足りないというか、なんか違うみたいな気持ちになることが多いのです。
けれども、その日、ただ自然に触れている友達を見たり、自分が何も考えず、空を見上げたり、風を感じたり裸足で大地に立っていることで、心が満たされるというか、リラックスするというか、童心に戻るってこういうことなのかなって思ったんです。
童心って言っても、あまり小さい時に、こうして野山を駆け巡った記憶なんてなくて、「戻っている」って感覚ではないんだけど、自分の幼少期とかそういうことじゃなくてなんか懐かしいような、ああ、これでいいんだなっていうような不思議な感覚だったんですよね。
人がリラックスしているのを見て、自分の心もほぐれて行ったのかもしれないし、なんかうまく言えないけれど、悩みがあったら、アーシングしたら心がほぐれるんじゃないかなーみたいな。
息子に留守番してもらって参加したので、仲間たちよりも早く私は日常に帰りました。
後ろ髪ひかれたし残念な気持ちもあったけれど、それよりも、参加できてよかったなという気持ちの方が強かったです。
コロナ禍で、こうして息子に留守番してもらって出かけるのはどうかなーって葛藤はあったのですが、行ってよかったと思います。
猛暑の中、熱中症も心配でしたが、木がたくさんあるせいか庭園はとても涼しかったです。
また秋にも企画してくれるそうなので、楽しみにしています。
また、日常の中でも折に触れて自然と触れようと思いました。