この前、ふと、いわゆる“ママチャリ”に、母親になってからは乗っていないなと思いました。
気になって、“ママチャリ”を、検索してみたら、特に定義はないけれど、婦人向けミニサイクルの俗称→婦人用シティサイクル→一般的なシティサイクルを指す言葉、となったようでした。
そして、母親の意味をなす「ママ」+自転車の俗称「チャリンコ」=ママチャリらしいということもわかりました。
予想通りで、ちょっと、ホッとしました。
ところで、今の「ママ」は、“ママチャリ”ではなくて、所謂《子ども乗せ自転車》に乗っていますね。
もう少ししたら、私も、“ママチャリ”に戻るのだと思うのですが、「ママ」真っ只中だけ、“ママチャリ”に乗らないということが、なんだか、名称的に不思議な気分だなと思いました。
子どもがまだいない時に、「子ども乗せ自転車」ってあんまりかっこよくないなと思っていたのですが、慣れてしまうとなんとも思わなくなっています。
しかも、「子ども乗せ自転車」って、子どもを乗せてない時、尋常じゃないくらい荷物が乗せられて便利なんですよね。
“ママチャリ”に乗り換えて、これが、乗せられなくなると思うと、不便な気もします。
いろいろなものが、いろいろな人の『不便な思い』から始まって、便利なものが発明されて普及する。
誰かの発明とその恩恵に感謝しながらも、自分の『不便な思い』も大切に、新しい何かに繋がるような発想が出来たらいいなと思います!