信じることと疑うことって、どっちがエネルギーがいるんだろう?
19歳の頃、人のことをあまり褒めないというか、どちらかというと、欠点ばかり指摘する友だちがいた。
仮にAさんとする。
何かで、ある人(Bさん)を信じられるか? という話になった。
状況からすると、Bさんが嘘をついているかどうかは、五分五分な感じだった。
私は迷って
「信じる」
と言って
Aさんは、
「よく信じられるね! 私は信じられないよ」
と言った。
私が
「信じる方が楽なんだ。疑うことの方が心がつらいよ」
と言うと
「信じることの方がつらいよ。疑っていた方がいい」
とAさんが言って、びっくりしたことがあった……と、ふと思い出した。
近所に空き巣が入ったと聞いたり、不審者がいたらしいと聞いた。
そういった犯人は、一見普通の人らしいと聞いて、怖くなった。
知らない人とすれ違うと、いつもより、緊張した。
今でも、多くの人は、人に危害を加えたり人のものを奪ったりするような人じゃないと思う。
だけど、なんの落ち度もない人に対して、敵意を持つ人もいるんだと思うと、なんだか不安になる。
そんなことは、前からわかっていたはずだけど、近くにそういった事件を感じて、心が揺れた。
信じることも疑うことも、どちらも、エネルギーがいると思う。
19歳の私が、疑うことを意識しなくて生きていられたということは、本当に幸運だったのだと思う。
そして、友だちの考えに当時は驚くばかりだったけれど、実は、何か、裏切られたような経験があったのかもしれないと、今なら、察することができる。
傷ついたり、傷ついた人を見ると、何も信じられなくなる瞬間もあるけれど、できることなら、信じることを辞めたくないと思う。
今回に関しては、自分ができる範囲の防犯に気をつけながら、今までどおり、平気で暮らしていくしかない。
子どもに、信じることと疑うことを教えるのは、ますます難しいけれど、それでも、尚、進み続けるしかないんだ。
そんなことを、ふと、思った。