涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

旦那に会社を休んでもらいパートに行った日

昨日は、私は、パートだった。

 

夏休み。

パートの時間、息子をどうしようかと困った。

 

まだ、一人で留守番ができない息子のため、夏休み前に家族で相談した。

 

会社にお願いして、週3回のところを週に2回にしてもらった。

2回のうちの1回は、徒歩とバスで30分くらいの私の実家に息子を連れて行くことにし、残りの1回は、旦那が夏休みと有給をバラして取ってくれて息子と留守番してくれることになった。

 

会社にも、実家にも、旦那にも、感謝ばかりなのだけど、息子にとって、ただ「色々なところに預けられた」という体験だけにならないように、旦那が、いろいろと工夫してくれていた。

 

具体的には、息子と一緒に出かけることなのだけれど、その一つが「鉄道のスタンプラリー」だった。

 

旦那と息子が二人でスタンプラリーに行く! という流れは、今始まったことではなく、結構、今までもあった。

しかし、今年、初めての試みは、息子と「息子の友だち」を旦那が連れてスタンプラリーに行く! ということだった。

 

最初、旦那が息子に

「友だちを連れて行きたかったら、誘ってもいいよ」

って言ってたのを聞いた時は、あ、息子、よかったじゃん、楽しそうじゃん! って、気軽に考えていただけだった。

けれど、お友だちが行きたいって言って、私が、ご両親にお連れしていいか? 聞いて、OKをもらって、旦那が計画して、持ち物とか約束の時間とかを私が連絡して、ってどんどん現実が近づいてくるに連れて、旦那は、すごく大変なことをしようとしているんじゃないか? って思えてきた。

 

当日になって、私が会社に行った後、

「Mくん、うちに来たよ」

って連絡があった。

「もしよかったら、写真撮って送って!」

って言ったら、息子とお友だちが笑ってる写真を送ってきてくれて、私まで嬉しくなった。

 

「楽しかった」

その日の夜、満面の笑みの息子と対照的に

「疲れた」

そう言っていた旦那だった。

「何かトラブルはあった?」

何の気なしに私は聞いた。

「うん。な! あったよな!」

「うん。そうだね……」

息子の顔がちょっとだけ曇った。

まずいことを聞いたかな? と思ったけれど、やはり何があったか知りたくなった。

聞けば、息子も、お友だちも、スタンプ帳をどっかの置き忘れてなくしかけたり、実際にお友だちは、切符をなくしてしまって、ひどく、落ち込んでいたというのだ。

「そうだったんだ。でどうしたの?」

「しょうがないからもう一回切符買ったよ」

「そっか」

そこまでは、ああ、残念だったねって感じだけれど、ここで私は旦那のことがすごいなって思った発言があった。

 

「可哀想なことしたなって思ってさ」

「え? でも、なくしたのはMくんだよね」

「そうだけど、性格とか行動パターンをある程度知っていたからさ、未然に防げたはずだと思ってさ」

「ああ」

Mくんは、とても頭のいい子だ。

だけど、夢中になると、結構、物を落としたりするところが普段からあって、旦那にも確かに話してもいた。

「せっかく楽しく過ごしていたのにな」

そうつぶやいた旦那は、優しいなって思った。

 

で、もっとすごいなって思ったのは

「今日で全部回りきれなかったからさ、もしも、よかったら、後半戦も、Mくん行きたければ連れて行くから、聞いてみてよ」

って言ったのだ。

 

え? こんなに疲れ果てていて、もう一度、引率してくれるの?

 

すっげー!

私に、同じことできるかな? って思ったけれど、わからなかった。

 

で、Mくんとご両親に気持ちと日程を確認したら、後半戦も、共に行くことになり、昨日、決行された!

 

で、後半戦はというと、トラブルはなかったようだった。

 

「迷ったんだよね。もう、小学4年生だし、自分たちに持ち物管理させて、切符をなくしたらなくしたで自己責任ということにしようかと思ったけれどさ、結構、人で混雑していたし、そういうことは、別の機会に経験してもいいかなって思って」

そう言った旦那は、スタンプ帳は、一回一回預かって、切符については、二人がちゃんとお財布に入れるのを目視で確認していたらしかった。

 

さすが! 素晴らしい!

 

私「ユウ、楽しかった?」

息子「うん」

私「Mくんも楽しそうだったかい?」

息子「うん。めちゃはしゃいでた」

旦那「そうだよな。ずっと話してたよな、楽しそうに」

私「それはよかった」

 

最初敬語だったMくんの旦那への言葉遣いが最後には、友達同士みたいにタメ口になって、最後はハイタッチして帰ってきたらしかった。

 

今回旦那が一番困ったのは、ホームドアのないホームが大変混んでいたのに、そこで、漫画の中のエピソードについて、Mくんに質問責めされたことらしかった。

「誠実に答えてあげたいんだけど、俺の任務は、二人を安全に連れて帰ることだからさ、ちょっと、回答が雑になっちゃったよ」

そして、片や、電車の写真撮影に夢中になる息子。

ああ、想像できる。

そして、かなり大変な引率。

 

本当にお疲れさまだ。

 

またしてもぐったりしていた旦那が

「写真のデータを、Mくんのうちのパソコンのメールに送るからって、連絡しといて」

と言って、布団に吸い込まれるようにして、眠った。

 

息子とMくんにとって、最高の夏休みをありがとう!

 

お疲れさまとありがとうを旦那に送ろう。

 

ご近所さんに想像以上に信頼されてもドキドキするものだ!

ピンポーン

玄関のチャイムがなった。

 

あれ? 誰だろう?

 

息子の友達とか、宅配便とか、特に、心当たりがないような時間だった。

 

インターフォンの画面を確認すると、隣の年配の女性だった。

何やらハガキのようなものを手に持って、所在無げに立っている。

お年は、85歳くらいだと思う。

お隣さんということで、Tさんということにしておこう。

 

インターフォンで話すのもなんなので、

「はーい」

と言いながら、玄関のドアを開けた。

 

Tさんは、一人暮らしだ。

だから、時々、Tさんが人にもらいすぎたり、買いすぎた食材やお菓子を

「よかったら、食べて!」

と持ってきてくれることがあった。

今日もそうかと思ったら、そういうわけでもなさそうだ。

 

だいぶ前に、ベットの毛布がうまくかけられないと助けを求められたことがあった。

腰が痛くてできないから頼みたいということだった。

今回もそういう類のものかとも考えられた。

よし! とにかく話を聞こう。

 

「どうされました?」

「これなんだけど……」

申し訳なさそうに、私に見せてきたハガキは、郵便局からのいかにも大事そうな書類だった。

 

え? 私が見ていいのかな?

躊躇したけれど、よく見ないことには、説明できない。

目の前のTさんは説明を求めている。

えーい! ここは、銀行員に戻ったつもりで……。

昔、ロビーでお客さんに、書類の確認を求められた過去の記憶を引っ張り出して、事務的に対応しようと決めた。

「えっと、これは、Tさんのお口座に、こちらの金額の送金がありましたよというお知らせのようですね」

「え? 2万円の?」

「いや? 20万円のようですよ!」

「え? そんなに?」

 

1、10、100、1000、万……。

どう見ても、20万円だけど、数字を見慣れていないと、桁も見間違えるのかと、思いながら、なんだか、ちょっとドキドキしてきた。

「郵便局に行って、通帳を持って行ったら記帳してもらえると思いますよ」

「キチョウ?」

「あ。通帳のここに、この送金の内容が書かれるというか……載ります、多分」

「通帳! ちょっと今時間ある?」

「え?」

どうやら、家の中に入って、詳しく説明して欲しいようだった。

参ったな……。

別に悪いことをしているわけではないし、例えば、騙したり、人のお金をどうこうしようとしているわけではないのだけれど、お金の件で、お年寄りの家に上がりこむことに何か抵抗があった。

「ちょっと待っててください」

私はそう言って、一度家に戻り、息子に

「隣のおばさんに書類の説明を頼まれたから、ちょっと行ってくるね。何かあったら、来てもいいし、電話してもいいから」

と言った。

そう言いながら、深呼吸を一つした。

そうだ! 別に悪いことをしに行くわけじゃないんだ!

気を取り直して、向かった。

 

開け放してあったTさん宅の玄関を入って、ドアを閉めた。

「失礼します」

「ごめんね。急に。誰も聞ける人がいなくて」

まあ、お金のことだから、見ず知らずの人には聞けないし、かと言って、同世代の親しい人過ぎてもきっと嫌だよな。

そう思ったら、まあ、私が適任だったのだろうな、と合点がいった。

「通帳はこれなんだけど……」

信頼してくれている感じは嬉しいが、あまりに無防備に、重要書類を見せてくるものだから、ちょっとドキドキした。

簡単に説明し、郵便局が空いてる平日に、持っていって窓口の人に話すことを勧めた。

付いて行ってあげようかとも思ったけれど、頼まれたわけでもないし、大金を下ろすとしたら、尚更、自分から、申し出るのはやめておいた。

 

「あーよかった。年取ると、いろんなことがわからなくなっちゃって。本当に助かった」

笑顔でそう言ってくれて、私も誇らしい気持ちになった。

「よかったら、また聞いてくださいね」

そう言って、Tさんの家を後にした。

 

一人暮らし、85歳。

 

大変だろうなと思う。

 

一度、信州の方にお住いの息子さんが、遊びに来ていたことがあって

「いつもお世話になっております。どうぞよろしくお願いします」

って言われたことがあることを思い出した。

確か、隣町にも、娘さんがいるらしいけれど、フルタイムで働いていて忙しいって聞いたこともあったな。

 

いろんな事情があるだろうな。

 

時々、気にはするけれど、家族のようには、気にして生活はしていない。

洗濯物があるかな? とか、換気扇が回っているかな? とか、何気なく気にしているけれど。

 

足が不自由で、腕もちょっとリュウマチ気味で、週に一回ヘルパーさんが来ているのは知っている。

 

あー今日はヘルパーさんが来ているんだなって気配は感じる。

 

そういえば、こんなことがあった。

旦那が、災害時の非常食をネットで注文するときに、3人分か4人分か迷っていた。

3人家族なのに、なんでだろうって思ったら、

「隣のTさんのご家族は、災害時、Tさんをすぐに助けに来られるかな?」

って言ってて、びっくりした。

「隣町に娘さんがいるみたいだよ」

って言ったら、

「じゃあいいか」

って結局3人分を注文したけれど、確かにいざとなったら、近所で助け合うことになるかもしれない。

 

別に、我が家がすごいってわけではなくて、逆に、義母が入院した時も、旦那は、週に3回くらい見舞いに行ったけれど、私と息子は週に1回が限度だったし、家族は大事だけれど、それとはまた別の次元で、ご近所さんは、運命共同体になりうるってことだ。

 

どんな距離感で、過ごしていけばいいのか、正直迷うけれど、求められるものを、できる範囲でやりながら、できるだけ、笑顔で過ごせていければいいなと思った。

 

 

 

「ゲームのアプリを削除した」事実をどう捉えるか?

「そろそろ勉強しよう!」

午前中、私がそう声をかけても、なかなか息子はリビングに現れなかった。

 

「ねえ! 早めにやっちゃおうよ!」

何度目かの私の呼びかけに、不機嫌そうに現れて

「今、やろうと思っていたんだよ」

と吐き捨てるように言いながら、息子はテーブルに着いた。

 

それでも、なかなかやり始めないと思ったら、今度は、テーブルに突っ伏した。

なによー!

息子の態度に、イラっときたけれど、怒りをぶつけてしまうと、また、勉強の開始が遅れると思って、言葉を飲み込んだ。

 

だけど、どうしようかな? って思っていたら、突然、息子が

「もう嫌だ!」

と言って、泣き出したのだ。

 

なに、なに?

事態が飲み込まめなくて、困ったのだけど、途切れ途切れの説明を聞いたら、どうやら、息子が旦那に頼んで、任天堂スイッチというゲーム機に入れてもらったゲームのアプリのダウンロードが遅すぎてイライラして削除してしまったというのだ。

 

え? 

で?

説明を聞いても、正直、よくわからなかった、息子の涙の意味が。

「最近、自分勝手な自分のことがもう嫌だ!」

「え?」

自分責め?

 

「えっと、削除しなきゃよかったというわけではないのかな?」

息子が頷いた。

「じゃあ、もしかして、せっかく、お父さんにお願いして、アプリを入れてもらったのに、断りもせずに、イライラして勝手に削除しちゃったことを悔やんでいる感じ?」

また、息子が頷いた。

「そうか……」

そう言いながら、私は、次になんていう言葉を発したらいいか迷った。

 

これは、叱るところ? それとも、大丈夫だよ! って慰めるところ? それとも……。

迷った挙句、自分の口をついて出たのはこんな言葉だった。

 

「あのさ、確かにさ、もしアプリを削除したいと思ったら、頼んで入れてもらったとしたら、断ってから、削除した方がよかったかもしれないね」

「そうしようと思ったんだけれどさ、削除したくなっちゃったんだよ」

「そうなんだね。つい、イライラしてさ、気持ちが抑えられなくなっちゃうことって、大人でもあるけど、出来たら、一呼吸置けるといいね」

我ながら、小学4年生に向かって、難しいこと言ってるなって思ったけれど、例え、一呼吸置けなかったとしても、一呼吸置く大切さは知っておいて欲しくて伝えたんだなと後になって思った。

 

「もしさ、悪いなって思ったとしたら……、お父さんに正直な気持ちを話せばわかってくれると思うよ」

そう言いながら、息子がやったことが、すごく悪いことなのかどうかも、母親ながら、実は判断できてなかった。

多分、私の中にある、善悪を判断する基準が、うまく機能してなくて、全くぼやけた発言になってしまったなと、思う。

 

で、そればかりでなく、後になって、そこまで話す話だったかな? とも思った、こんな発言を私はしたのだ。

 

「お母さんもさ、ああすればいいってわかっていたのに、できてないこといっぱいあるよ。例えば、ここの書類をさ、今日こそは片付けようって思っていたのに、できなかったりさ。自分に、100点満点なんかつけられない日、ばっかりよ。でも、次は、できるようにって、前向いて、生きているわけ。だから、もしも、よくなかったなって反省することがあったらさ、次に繋げればいいんじゃないかな? 完璧な人なんていないからさ」

ここまで一気に話すと、息子は、突っ伏したまま、頷いていた。

 

そして、もう一言どうしてもつけ加えたくて、私は言った。

「だけどさ、ユウ、別に、人が注意したわけじゃないのに、自分のこと『自分勝手だな』って客観的に見て、反省したのはさ、すごいことだとお母さん思うよ」

息子は、意外そうに、ちょっとだけ顔をあげて、頷いていた。

 

「とりあえず、気を取り直して、勉強しよう!」

酷かな? とは思ったけれど、やはり、勉強は午前中にして欲しかったので、私は、そう付け加えた。

 

これで、母としての発言は、よかったのだろうか?

 

徐々に、気を取り直した息子は、どうにかこうにか、勉強を進めた。

 

その後、外に出ていた旦那が、お昼ご飯を食べに帰ってきた。

 

あの話をするのかな? って思っていたら、息子が、

「あのさ……」

と話し始めた。

 

ポツリポツリと話す息子に

「で? 理由は?」

「ダウンロードが遅くて消しちゃったんだね」

「別に消したことは、いいじゃん。なんで、そんなに話ずらそうに話すの?」

と言って、終了。

 

へ?

それだけの話だったの?

 

私は若干拍子抜け。

息子も、ちょっとポカーンとしてた。

 

もちろん、息子の自己嫌悪とかの話は出てなかったということもあるかもしれないけれど、同じ事実の話なのに、人が違うとこうも重さが違うのかとびっくりした。

 

私が最初にこの話を聞いた時

「大丈夫だよ。別にダウンロードが遅いから消しちゃっただけでしょ? 問題ないよ」

とでも言っておけばよかったのかな?

 

でも、人によって、いい悪い、許す許さないも違うのでね……。

 

人は完璧ではない! みたいな話まで、しちゃったことを、あちゃーと思いながら、まあいいかと、苦笑いしながら、このブログを書いている。

 

私がやりたいことは〇〇で発信することだったのかもしれない!

私は、今、幸せです!

もちろん、毎日、悩みは発生するし、問題もたくさんあるし、自分に満点はつけてあげられないけれど、それでも、家族にも恵まれて、感謝ばかりです。

 

でも、欲張りな私は、物足らないと思ってもいるんです。

 

こうして、ブログを書いて、何人かの方に読んでいただけていること!

それは、本当にありがたく嬉しいことなんですが、もっといいコンテンツが書けるようになりたい願望があります。

 

と、同時に、ずっとずっと、自分の中で、「やりたいのか? 本当は、やりたくないのか?」ってわからないことがあるんですね。

 

それは、何かというと、人前で話すことなんです。

 

密かに、勉強させていただき、いくつかの「人前で話していいよ」っていう資格はいただきました。

 

「ほめ達認定講師」

「子育てハッピーアドバイザー」

 

それぞれの団体に申請や報告は必要ですが、講師を名乗って、勉強会とかやっていいと言われているわけなんです。

 

それでも、その一歩が出ないんです。

 

仲間に

「ゼロをイチにしてごらん!」

ってアドバイスと何度ももらったんです。

でもできていないんです。

 

この約3年間、文章では、大分アウトプットができるようになりました。

 

人前で話すことで、同じようにアウトプットができたらいいだろうなって思うんです。

 

でも、最近、身近にいる講師の仕事がすごく向いている仲間にそれを話したところ、

セミナーがやりたいの? 講演がやりたいの?」

って聞かれたんです。

 

即答できませんでした。

セミナーと講演の違いも正直よくわからなかったんです。

 

違いを聞いたところ、セミナーは、聞いた人が、ノウハウを持ち帰って「自分もできるかも! やってみよう!」って思う話で、講演は、いろいろな経験をした人がその人ならではの経験を話すことと知りました。

で、講演は「わーすごいな!」って聞いた人がすごく感動はするんだけれど、自分ごとにはなりにくい可能性もあるようなんですね。

 

それに、講演は「この人の話が聞きたい」って思ってもらわないといけないしな……って思ったところで

セミナーの場合、自分の経験も踏まえて、ちゃんとノウハウに落とし込む作業をずっと続ける必要があるんだけど、それ、できる? っていうか、やりたいの?」

というようなことを聞かれ、絶句しました。

すみません、ちょっと図星すぎて、ショックすぎて、正確な言葉、よく覚えていません。

 

できるとか、やりたいとか、正直わからないというか、すみません、そこまでの覚悟はなかったです……。

 

と、言葉にしたか、言葉にすらできなかったかも、覚えていないけれど、その後

「それより、得意な『書くこと』を伸ばした方がいいんじゃない?」

って言われて、へ? ってなったんです。

 

そうか! やはり、得意なことに注力した方がいいんだな……。

 

その場では、納得し、ああ、いいアドバイスもらったなって、気持ちを落ち着けたんですが……。

 

ですが、なんか引っかかっていたんですよね。

家に帰ってきて、旦那にそのことを話して、

「きっと、書くことに集中した方がいいんだろうけどさ、でも、なんか声で発信したいんだよね」

と本音が出ました。

 

そうしたら、

「じゃあ、あれ、やればいいんじゃない?」

とあるものを提案してきたんです!

 

「えー? 私が?」

そう言って、自分には無理だと思ったんです。

「でも、それができないとさ、そもそも、セミナーだ、講演だなんてできないんじゃない?」

「まーそうだけど……」

 

その後、二日くらいかけて、できないよーって思っていたのが、もしかしたら、できるかも! に変わってきて、やれるかな? が、やってみたい! に変わってきたんです!

 

さあ、本当にやるのか? 私!

 

もしも、本当にやったら、報告しますね!

 

なんとも言えない、不安な気持ちに包まれてしまったけれど……

ゴミ出しをするため、外に出たら、風が吹いていて、涼しかった。

 

空気が、秋だった。

 

暑い日が続き、早く涼しくならないかと思っていたけれど、こうして秋の空気を感じると、途端に、物悲しくなるのはなぜだろう。

 

まあ、そんな、身勝手な寂しさを感じるのは、毎年のことなんだけれど。

 

やるべきこともたくさんあって、やらないとなーやろう! って思っていた、急務ではないけれど気になることもたくさんあって、もっとちゃんとやりたかったのに、雑にしかできてないこともあって、ため息が出る。

 

なんとも言えない、不安な気持ちに包まれて、深呼吸してみるも、呼吸が浅く感じる。

 

体調だって、万全ではないものの、動けるし、心配事はあっても、今自体は、ちゃんと生活できている。

 

100%は満足はできないけれど、それなりに頑張ってるし、やっている。

 

なんとも言えない、不安な気持ちは、もしかすると、風のせいかもしれないし、ホルモンのせいかもしれない。

 

風に吹かれることは、嫌いじゃないけれど、強すぎる風や、風の音は苦手だ。

 

文字にしてみたら、少しは、気持ちが落ち着くのではないかと思って、こうして、パソコンに向かっていたら、息子が、面白いテレビがやっているよと呼びに来た。

 

行ってみると、先日行った「デザインあ展」のメイキングの番組だった。

 

惹きこまれて、見ていると、それに集中している時は、不安な気持ちが消えていた。

 

そうか! やはり、体や心を動かして、「今」に集中すればいいのかもしれない。

 

風の音に誘発されて、不安な気持ちになるのは、まだ、起こっていない未来のことが気になったり、実際に起こっているわけではないことを、憶測して、不安がっているからだと思う。

 

私には、時々、そうやって、不安がるところがある。

そんな自分の特徴を知って、対応しよう。

 

どっぷり、思考に浸り、不安がるのもよし。

不安がっていても仕方ないからと、「今」に集中し、体を動かすのもよし。

文章を書いて気持ちを整理するのもよし。

 

そうだ。

まず、できることから、始めよう!

そんな気持ちになってきた。

 

デザインあ」の裏側をみて、スタッフの努力をすごいなって思えたし、その番組を教えてくれた息子にも感謝だ。

 

自分の考える100点は取れないかもしれないけれど、まだ、今日は始まったばかり、まだ大丈夫!

できるだけいい1日になるようにしよう!

 

厄介な思い癖はあるけれど、いつだって、そこから立ち直ってきたんだ!

大丈夫だ! きっと!

シマウマVS玉虫

私は、どちらかというと、いや、絶対に、「白黒つけたがるタイプ」の人間だと思う。

 

世の中、「白黒つけられないことの方が多いよ」「全てに白黒つけようとすると、自分が辛いよ」そんな風に言われて、グレーもありだよな……と、少しだけ歩み寄ることができるようになったのは、最近だし、モヤモヤしている原因を探ると、白黒つけたいのにつけられないといった状況の時が未だに多い。

 

かたや、一番身近な人でいうと、旦那は、グレーとか、玉虫色とかでも大丈夫なタイプの人で、私が白なのか? 黒なのか? といった問題でカリカリしている時も、グレーもありだよと笑っている。

 

そんな、二人の間に生まれた息子は、どっちなんだろうな? って気になって聞いてみた。

「白黒つけたい方? それとも、グレーでも大丈夫?」

すると、

「白黒つけたいな」

と言った。

あちゃー! それは、残念でしたね!

心の中でそう思った。

「お母さんも、そうなんだけどさ、グレーでもいいとか、グレーもありと思った方が生きやすいみたいだよ」

「ふーん」

 

そんな会話をした後、あれ? と思った。

これだって、息子がどっちのタイプか、白黒つけたいから聞いたんだな!

 

なかなか、物事の多様性を認めたり、ラベリングしないで生きることは、私のような人間には難しいことだ。

だけど、せめて、そのことに気がついた時に、「決めなくてもいいや」って思えるようになっていけたらいいなと思う。

悲しみ泥棒未遂!

朝から気持ちがモヤモヤしている。

 

旦那から、ある出来事を聞いたからだ。

 

ある出来事とは、旦那が、怒り、悲しい思いをしたという話。

 

しかし、聞いたとは言っても、全てのことを聞いたわけではなく、肝心な相手が言ったセリフについては

「言わないし、言うつもりない」

と言われた。

なんでだろう? と思っていたら、言ったら、自分以上に私が悲しんだり、怒ったりすると思うから、だと言う。

聞いてみないとわからないから、言ってみてほしいとも思ったけれど

「悲しみ泥棒されそうだから」

と聞いてハッとした。

 

そうだ! 私には、そういうところがある。

共感を通り越して、本人以上の感情を表に出してしまうところだ。

おそらく、本人の感情を越すことはないのだと思うけれど、表に出さないタイプの人の話を聞いた場合、本人の代わりに私がぶちまけてしまうことが、時々ある。

 

あ、まずい。

本人以上に、感情を出してしまった!

そう思った時には、複雑な顔をした本人がそこにいるのだ。

 

多分、その犠牲者は、旦那であることが多い。

 

私が「泥棒」の時が多いので、盗まれた人の気持ちは、はっきり言って想像でしかない。

けれど、「本当ならば、自分の中で時間をかけて咀嚼し、俯瞰し、整理するところを、自分でない人のペースで、掻き回されてしまうこと」は、やはり、好ましくないだろうと思う。

 

うん、きっとそうだ。

 

だけど、正直言って、モヤモヤしている。

感情に寄り添いたい思いがウズウズしている。

しかし、それは、我慢しないといけないことなんだと思う。

 

人の悲しみ、苦しみ、悩みに寄り添う時、つい、詳細を聞いて、しっかり向き合いたいと思ってしまうところがあるけれど、その本人が、どこまで、人に関わってほしいかは、それぞれだ。

 

どう気持ちを寄せたって、それは、その人の問題であり、私の問題ではないのだから……。

 

それでも、家族の問題は、とても気になる。

もっと知りたい。

 

でも、そっとしておこう。

また、本人が、その件について、また、口を開くまで。