涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

何もかもが中途半端で申し訳ない気持ちでも、一歩、前へ

欲張ったつもりはないけれど、冷静に、見回してみると、実に欲張りなんだと思う。

 

家庭もあって、子どもも居て、PTAの活動にも関わって、パートとはいえ仕事をして、ライターとしての原稿書きもさせてもらって、さらに、自分の時間も持ちたいと思っている。

 

本当は言っちゃいけない言葉なんだと思うけれど、やはり、時間が足りない気がする。

いや、足りないという感じじゃないかもしれない。

どれも一生懸命取り組んでいるつもりなんだけれど、あれができなかった、これができなかったと思うことが多い。

もっとできたはずなんじゃないかと思うこともある。

 

しかも、やはり、こちらを立てればあちらが立たずで、どれも大切にしたいけれど、どれも完全には優先できなくて、断ったり謝ったりすることも少なくない。

 

やりたいのに、やれないのは、不甲斐ないけれど、目の前にあるやるべきことを、できる範囲でやるしかないんだ。

 

こんな状態でも、役割を持たせてもらえること、そのことに感謝しよう。

 

人に助けてもらえること、そのことに感謝しよう。

 

明日は、本当は、仕事に出たかったけれど、どうしてもやらないといけないPTAの作業があるから休ませてもらった。

今日、できるだけのことはやった。

もっとできたのかもしれないけれど、今の私には、精一杯だった。

だから、あとは仲間に頼って、私は、やるべきことをしよう。

 

何もかもが中途半端で申し訳ない気持ちでも、一歩、前へ、進むしかない。

やるべきことがあることは、幸せなことだから。

パッとしない一日

油断していた。

時間があると思って、油断していたんだ。

 

うっかりスマホのゲームに夢中になってしまったら、あっという間に時間が経ってしまった。

 

その後に、あれもやってない。これもやってないと気がついた。

 

失敗したなぁ。

 

自分だけのことだったら、まだいいのだけれど、私の時間管理の失敗に、息子の就寝時間の遅れが伴ってしまうから、厄介だ。

 

そして思う。

 

1日という単位で、一区切りをつけられることが本当に幸運だと思う。

 

こんな失敗も、寝てしまえば、とりあえず、過去のものになり、また新しい一日が始まるから。

 

なんだか、今日は、空回りした気がする。

反省することも多い。

 

明日は、頑張ろう。

あの時、うまく伝えられなかった算数の問題の解き方を、もう一度、説明させてくれ!

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小学3年生の息子は、算数で「2けたのかけ算」をやっています。

かけ算の筆算です。

正確には、まだ、学校では、やっていなくて、契約している通信教育の教材に出ていたところなのですが……。

 

我が家では、息子は、学校の宿題は、ひとりでやります。

そしてその後に、私が目を通し、間違っている場所を指摘し、やり直しするように声かけはしているのですが、通信教育の教材は、私が側について一緒にやっています。

もう小学3年生だし、そろそろ答え合わせだけでもいい時期かもしれませんが、そもそも、あまり乗り気じゃないので、どうにか、雰囲気を盛り立てて、取り組ませている実情です。

 

一週間くらい前に、教材に、この「2けたのかけ算」が登場し、いつもの通り、一緒になってやっていたのですが、説明文を読んでも息子が理解していなかったので、私の方も、「なんでわかんないの?」という言葉は辛うじて飲み込みながらも、少し声を大きめにして、説明をし続けました。

「わかった?」

「……」

「とりあえず、問題解いてみよう!」

努めて落ち着いて話しかけたつもりでしたが、イライラが言葉に乗ってしまったようでした。

息子は泣き出してしまったのです。

 

もう一回、説明すればわかるかな?

そうも、思いましたが、いや、今、説明を続けても、いいことはなさそうだと判断し

「わかった。じゃあ、学校で先生の説明をよく聞いてきてね。今日はおしまい」

そう言いました。

息子は、ホッとしたように頷きました。

 

私としては、不完全燃焼で、気分は悪かったのですが、これ以上無理強いして、息子が算数を大嫌いになってしまうのは本望ではないので、堪えました。

 

でも……

「学校で、かけ算の筆算出てきた?」

「ううん。まだ」

「そう」

ここで、待てれば、私も成長したということなのでしょうが、気になって、何日かに一回聞いてしまいました。

 

もう一度だけ、教えたい!

 

私のわがままですが、もう一度だけ、説明してわかってもらいたかったんです!

だから、今日、息子に提案しました。

「この前の問題だけど、少ない量でいいから、もう一度やってみない?」

「えーやるの?」

渋々でしたが、どうにか、机に座らせることに成功しました。

 

「これなんだけどさ」

私がそう言うと、完全に目が死んでいて、聞こうという感じがしません。

「もう一回さ、苦手意識持たないで、話聞いてみて!」

ある意味、無茶な願いをしたものです。

だけど、息子は、半分くらい聞こうという雰囲気を見せました。

今だ! チャンス!

私は、できるだけ、ゆっくりと説明文を読み上げました。

「ここまではわかった?」

「うん」

「でね。その次なんだけど」

一通り説明すると、息子が質問してきました。

ああ、そうか、そこで引っかかったんだ。

息子がわからない場所がわかりました。

「これはさ、これとこれを別々に計算したものを、一緒にしたものなんだよ。だから、最後は足すんだよ」

「ああ、そういうことか!」

わかりかけたところで、確認問題を一緒に解きました。

「あ、なんかわかってきた」

「ちょっと楽しくなってきた」

そうか! そうか!

私は、その言葉が聞きたかったんだ! そう思いました。

 

もう少し解いて欲しかったけれど、やめておきました。

楽しい気分のまま終わらせたかったんです。

これ以上やると、また雰囲気悪くなるかもしれないし……。

 

親子学習は、あまりよくないとも聞きます。

でも、わからないことがわかって、目が輝く瞬間が見られる時は、すごく嬉しいです。

 

押したり引いたりしながら、もう少し、一緒に勉強しようかなって思います。

 

 

子育て中にこそ、ビジネス書を!

私は、やっぱり、小説よりも、実用書の方が好きです。

 

小説家になりたい……そう言いながら、小説をあまり読まないのは致命的だと思うから、この事実を否定していたかったけれど、やはり、どうしても、手に取ってしまうのは、実用書なんです。

 

しかも、例えば、料理とか美容とかの女性的な本ではなくて、生き方のような教養系か、ビジネス寄りの本を読むことが多いのです。

 

なんだかワクワクするんです。

 

私は、途中、4年間は小学生の答案の添削の内職はしたものの、約10年間は、ほぼ専業主婦でビジネスとは無縁でした。

だから、ビジネス書が気になっては、立ち読みし、しかし、ああ、今の私には関係ないかと、本箱に戻していました。

そんな中、昨年の夏から、パートではありながらも、事務の仕事をするようになったので、ビジネスに携わる端くれとして、本屋に行くと、堂々と、ビジネスの棚の前に立つことができ、本当に嬉しいのです。

 

私は、今、複数の本を並行して読んでいるところなのですが、そのうちの一冊に特に引き込まれているんです。

それは……

 

『マンガでやさしくわかるU理論』中土井 僚・著 日本能率協会マネジメントセンター

 

マンガでやさしくわかるU理論

マンガでやさしくわかるU理論

 

 まだ半分くらいしか読めていないので、内容について、説明をできる段階ではないのですが、なんだか、目から鱗が落ちたというか! モノの見方が変わったというか!

今まで、いいと思っていたことを、なぜいいと思っていたかわからなかったけれど、それが説明できることなんだとわかったというか!

とにかく、いい本に出会ったなと感じたのです。

 

ビジネスの世界に、ほんの少し関われていると言っても、私のメインはまだ、子育てだったり地域の活動だったりしますから、この本を読んで、組織にイノベーションをもたらすという立場ではないのですが、それでも、人間関係において、この「U理論」は、どんな立場でも有効だと思ったのです。

 

そもそも「U理論」とは、ネット見つけた、短く説明している言葉を借りると、「人と組織の問題を劇的に解決する理論」とか、「過去や偏見にとらわれず、本当に必要な『変化』を生み出す技術」とか言われています。

 

例えば、家庭で母親の立場で、子どもの話を聞く自分の表情がどんな感じか想像したことがある人は少ないのではないかと思いますが、もし鏡に映った自分の顔をみたらどんな表情をしていると思いますか?

 

私の場合、眉間にしわを寄せていることが多いと想像できます。

それに、言葉は悪いですが、「どうせ大した話じゃないだろう」とかそんな思いで、話半分で聞いていたり……。

そういった思い込み、決めつけが問題をこじらせているのだと、私は、気づくことができました。

 

じゃあ、どうするのか?

これについては、この先、本を読み進めてみます。

 

ビジネス書は、子育て世代、特に、専業主婦には、縁遠く、関係がないと思いがちですが、子育ても一大事業だとすると、子育て中にこそビジネス書を読むことは有益なのではないかと、一周回って気がつきました。

 

気持ちが先走り、まだ読み終わっていないのに、本を紹介してしまいましたが、ビジネス書に関係ないと思っている人こそ、ぜひ本屋のビジネスの棚の前に立って、なぜかピンときた本を手に取ってみることをオススメします!

 

それこそ、思い込みを捨て、直感によって手に取った本から、まずは、個人レベルのイノベーションがもたらされるかもしれませんから!

 

気を遣わずに、落ち込める場所

家族の誰かの元気がないと、なんだか、家の空気が変わる。

 

重さなのか? 色なのか?

 

かけるべき言葉は、「元気出して!」ではないということだけはわかるんだけど、だからといって、じゃあ、なんなのか? と考えるとわからなくなり、こちらも黙ってみたり、くだらない話を話しかけて、あ、やっぱり違ったといってフェードアウトしてみたりする。

 

「元気出して!」じゃないとしたら、「話聞くよ」かな?

でも、温かく放っておくのが優しさの場合もあるし、うーん参った。

 

子どもが元気がないと、なんとなく、遠巻きに、ぼんやりとした言葉でもって、何があったのか探ってみたりするけれど、大人が元気がない場合の方が、対応に困る。

 

自分が元気ないときはどうだろう? と考えてみる。

 

時と場合か!

なんて、元も子もない答えがすぐに出た。

 

しかも、例えば、次に元気がない時、構ってほしいのかも、放っておいてほしいのかも、予測がつかない。

ケースバイケース。

 

だったら、仕方ないか。

 

自分なりに、気遣って話しかけてみて、あまり話しかけてほしくなさそうだったら、引いて、何か、ポツリとでも、本人が話してきたら聞けばいいんだな。

 

元気がない人をみると、早く元気になってほしいと、つい、思ってしまうけれど、多分、その元気がなさそうに他人には見える、気持ちが落ちている時間に、湧き上がる感情を味わったり、思考を巡らせたりする時間が、実は本人にとって大切なのかもしれないと思う。

 

だから、もしかすると、家庭というのは、安全に、思いっきり、気を遣わずに、落ち込むことができる空間であることが重要なのではないかと思った。

 

そもそも、そうそう落ち込むタイプではないけれど、そんな私だって、どんよりと落ち込みたい時もあって、そういう時に、息子にじーっと見られて、元気かどうか確認されることがつらい時も、まあ、ある。

「ユウが原因ではないから、ちょっと泣かせてもらうよ」

「お母さんが機嫌が悪いのは、ユウのせいじゃないからね」

落ち込んだり、へそを曲げることすら気を遣わないといけない状況がつらい時もある。

 

だから、安心して、機嫌を悪くして、元気をなくせる場所って素敵だ!

 

本当は、旦那に、早く元気になってほしいけれど、自分のタイミングで浮き上がってくることを信じてみようと思う。

雪の影響は続いている……

寒い。

本当に、寒い。

 

鼻が詰まるし、喉もカラカラだし、あまりに寒いから、この寒さは、悪寒かと思って熱を測ってみたら平熱だった。

 

この寒さは、本当に、気温が低いからなんだな。

 

結構暑がりで、冬でも、家の中では薄着だったけれど、昨日、今日ばかりは、芯から冷える。

 

寒すぎると、なんとなく体調が悪い気がするから不思議だ。

 

3日前に降った雪も、日陰のはまだ残ったままだし、寒いわけだ。

 

雪が降って、子どもたちは雪遊びをして楽しんでたけれど、運送業は本当に大変だったし、今朝の時点でも、まだ影響は残っていると、職場に荷物を運んでくれる人が言っていた。

 

そうだ。

昨日の、生協の配達も、生鮮食品はキャンセルになり、お菓子だけ配達されたんだった。

 

いつもお金さえ払えば、一定のいいサービスを受けさせてもらえるこの状況は、当たり前じゃないんだということに、改めて気づく。

 

そんなことを、おせんべいを食べて、カフェオレを飲みながら考えていて、生鮮食品でなくて、このおせんべだって、カフェオレだって、当たり前じゃないんだよって思う。

 

ありがたい。

ありがとう。

 

しかし、寒い。

寒いから、あとで、ゆっくりお風呂に浸かってあったまろう。

お風呂にも感謝しながら。

 

 

 

希望の大学に入れなくても、続いている人生について

今週のお題「受験」

 

 私の「受験」体験は、高校受験と大学受験だった。

 

高校受験は、高望みの国立の高校には、予想通り落ちたけれど、本命と併願は両方とも運良く受かって、めでたく本命に行けたからよかった。

 

しかし、大学受験は、正直言って、がっかりするような結果だった。

もう少し、世界史をしっかり勉強しておけば……と思ったし、世界史じゃなくて日本史を選んでおけば……とも思った。

世界史なんてなければよかったのに!

そんな風に思ったりもした。

 

結局、世界史に足を引っ張られる形で、私の、大学受験は終わって、10校受けて、2校にしか受からなかった。

受かったのは、いわゆる滑り止めの2校で、ひとつは、短大で私の希望していた心理学が学べない英語科だった。

ああ。

 

同じ高校の友だちは、もちろん現役で合格した人もいたけれど、大方、浪人を選択していた。

しかし、私は「現役で合格」を条件に、高3で予備校に行かせてもらっていたので、どうしても、受かったどちらかに行かなければならなかった。

 

しかもその決断をする時、両親は、遠くにいた。

父の実家の九州にいたのだ。

父の養母とその母が立て続けに亡くなり、葬式や様々な手続きでひと月ほど、家を留守にしていたのだ。

だから、両親との話し合いというか、連絡は、短い電話だけで、将来の重要な決断をひとりでしなければならなかったのだ。

 

もし、入学するならお金を払わなければならなかった日、母は、

「どうしても、浪人したければ、お金はどうにかするからしてもいいよ」

そう言った。

気持ちは揺れたけれど、一年後、今年受かった学校すら落ちてしまうかもしれないと思ったら怖くなった。

 

結局、私は、短大に行くことにした。

心理学を学べる滑り止めの大学より、英語科の短大の方が、少しだけ偏差値が高く、少しだけ有名だったからだった。

迷い過ぎると人は、客観的な数字を頼りにしてしまうものかもしれない。

 

本当にこれでよかったのかな?

楽な道を選んでしまったかな?

学びたいものを学べない選択なんてやはり間違いなんじゃないかな?

 

決めた直後ばかりでなく、事あるごとに、その時の選択に疑いを持った。

いいことがあれば、少しホッとしたけど、嫌なことがあれば、やはり間違えたんだと感じた。

 

 

だけど、短大を選んだおかげで、就職はスムーズで、氷河期を避け、都市銀行に就職できた。

 

そこで、楽しかったこともあるし、大変なこともあった。

 

結局、あれから、30年弱経った今も、あの時の選択が正しかったのかどうかはわからない。

 

ああ、そうか。

 

どんな選択をしても、その後の出来事を、どう捉えるかによって、気持ちは変わるんだ。

 

大学受験より先にも、就職、結婚、退職などなど、大きなことから小さなことまで、選択は続いている。

 

どんな選択をしても、その後の出来事を、どう捉えるかによって、気持ちは変わるんだとしたら、じゃあ、何を選択したって同じか? と言えば、それも違う気がする。

 

一生懸命考えて選択し、決めた決断の結果生じたことは、受け止める。

それの繰り返しなんだろうな。

 

受け止める時、笑顔の時もあれば、涙を流す時もあるだろう。

 

笑顔が多い方がいいけれど、涙だって、決して無駄じゃない。

 

毎年受験があって、たくさんの人が人生の岐路に立たされる。

 

納得行く結果を出せたとしても、そうでなくても、人生は続いて行くから、その時の感情を味わって、ぜひ、その経験を大切に育ててほしいと、45歳の私は思うのである。