涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

PTAの卓球の試合に出てくれる助っ人を探しながら胸が熱くなった話

とても疲れた一日だったと言おうとしてハッとする。

疲れたというよりも、頑張ったと言った方が良いと聞いたことを思い出したからだ。

そう、とても頑張った一日。

 


週末のPTAの卓球の試合に出る予定だったメンバーが体調を崩し、参加できないかもしれないとわかってから、キャプテンと手分けをして、助っ人を探している。

 

人数が足りないと親善試合になってしまうのだ。

 


学校の先生に出てもらえないか?

PTAの本部の人にお願いできないか?

誰か出てくれる保護者はいないか?

 


LINEを送ったり、電話をしたりして、聞いてみている。

 


キャプテンは仕事しながらの対応で、私は今働いていないので、私の方が時間はある。

だったら、何ができる? って考えて、得意な「文面作り」をした。

 


例えば、具合の悪くなったメンバーを見舞い、体調を確認し、こちらの状況をお知らせする「文面」。

また、メンバーの仲間に状況をお知らせする「文面」。

 


私が直接送っていいのであれば、それはそれである意味楽だけれど、できればキャプテンが送った方が立場的に良いものが多い。

しかし、キャプテンは仕事の合間に文面を考えることは結構大変なのではないか? それなら、と、参考文面を作ったけれど、あくまでも参考にしてほしく、押しつけになってはいけないと思い、「もしよかったら」という言葉を添えてキャプテンに送った。

 

 

 

誰にも迷惑がかからないように……誰も傷つかないように……そうは言っても、生きていれば人に迷惑はかけるし、誰かを知らず知らずのうちに傷つけてしまうかもしれない。

けれど、できるだけ平和に行くように神経を使った。

その使った神経は、本当に使う必要だったかどうかはわからないけれど、多くの仲間が心を寄せてくれてとても心が温まったんだ。

 


自分は用事があって助っ人になれないけれど、友達に聞いてみてくれるって言ってくれた人。

卓球なんか全然やったことないけど、どうしても誰もいなかったら出てもいいよ、と言ってくれた人。

そのひとつひとつの心配りが嬉しくて涙が出そうになったんだ。

 


明日の夕方まで、募って、もしも他に人が現れなければ、その誰もいなかったら出てもいいよ、と言ってくれた仲間にお願いしようと思っている。

PTAの運動部は、仕事でもないし、義務でもない。

だから、なぜこんなにも時間と気持ちを使って取り組んでいるんだろうって時々不思議に思う。

 


だけど、一生懸命練習して試合に勝ったり、ママ友という域を超えて、本当の友達になったりして、楽しい瞬間も結構あるんだ。

 


仲間の体調はすごく心配だし、助っ人を頼むことはとてもドキドキしたけど、今、こうして温かい気持ちになれているのは思い切って人に頼んだからなんだと気がついた。

 


迷惑をかけたくない、けど、思い切って、助けてほしいと言ってみたら、人の温かさに触れられたんだ。

 


そして思ったんだ。

私も自分ができる範囲で、人を助けられる人になりたいって。

 


今日は頑張った一日だったし、幸せを感じた一日でもあった。