涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

髪の毛を短く切られすぎて思ったこと

昨日、髪の毛を短く切り過ぎた。

 

「短かめにしますか?」

「はい」

「じゃあ、短めにして、軽くしておきますね」

「はい、お願いします」

 

確かに、ちゃんと確認してくれて、納得して切ってもらい始めたのだけど、自分の中の勝手な限度があって、それ以上は切らないものだと思い込んでた。

 

今の美容師さんに変わってから、4回目。

1回目に、結構、短く切って、短いと言っても、それくらいだろうというイメージだったのだけど、それ以上切られて、ちょっとショックだった……。

まあ、ギリ許容範囲だったけど……。

 

言わなくてもわかってくれるって思いこんでいることってある。

家族とか、友だちとかに対して、「察してくれること」を無意識に期待することもあれば、それほど親しくなくても、役割として、期待しちゃうこともある。

 

コンビニの人が、レシートをくれるとかくれないとか。

スーパーマーケットの人が、お寿司用のビニール袋をくれるとかくれないとか。

「普通はくれる」

と決めつけて、くれないとイライラするし

「多分、そこまで、気が利かないだろう」

と諦めモードの時に、くれると得した気持ちになる。

 

仕事とか、作業とか、人に教えてもらう時も、自分が、割と、親切に教えるタイプだと、そうでない人に教わる時に、びっくりしたり、不安になったりする。

「必要な情報を、黙っていてもくれるもの」だと思っていると、積極的にはくれないことを不満に感じるけれど、「聞いたら、教えてくれる」ということは、超絶丁寧ではないにしても、意地悪なわけではない。

「相手が何がわからないかわからない」から、気持ちはあっても、何から教えていいかわからないってことも、おそらくあるだろうし、「わからないことがあったら言ってください」ということで、役割を果たしていると思っているかもしれないから。

 

私みたいに、自称「親切に教えるタイプ」だからって、必ずしも、相手にとっていいわけでもない。

自分が懇切丁寧に教えているつもりであるはずなのに、相手が全く聞く姿勢でないとか、説明したはずのことを、何度も質問されるとイライラすることもあるからだ。

こういう人には、「聞いたらその時に教えてくれる人」の方がきっと合うのだ。

 

要は、相性なのかもしれない。

 

美容院に関しては、次回は

「前回よりは、長めに仕上げて欲しいです」

って言ってみよう。

これに関しては、多分、これで解決するはずだから(^_^;)