涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

スイミング習い始める時期

「◯◯も、スイミング通えばいいのに」

スイミングスクールのある日、嫌だ嫌だという息子がそんなこと言うものだから驚いた。

 

◯◯くんとは、息子のクラスメート。

 

でも、確か、彼のママと息子がスイミングを習っていると話していた時に、

「習いに行ったら? とは言ったんですが、◯◯は、まだいいって言うんですよ」

そう笑顔で言っていた。

「中学生くらいでいいってことですかね?」

「いえ、50歳になったらって言ってます」

「え? 50歳ですか?」

正直驚いた。

 

息子たちはまだ10歳。

人生100年時代と言えども、かなりのロングスパンだなと思った。

何か只者ではない気がした。

あ、◯◯くん、小4にして、元素記号にもう飽きたと言ってたなぁ。

 

そんなことを思い出して

「◯◯くんは、50歳になったら習うって言ってたよ」

息子に伝えてみた。

「え? もう少し早めに習った方がいいんじゃないかな? だって、学校でクロール泳ぐように言われたら、困るじゃない?」

「だよね」

 

息子が、いつも、私が息子に言うことを言っていて、複雑な気持ちになった。

 

息子は、スイミングスクールにイヤイヤでも通い続けて、大分泳げるようになったし、気持ちも強くなれた気がする。

 

だけど、◯◯くんのママの顔を思い出し、お子さんの気持ちを尊重し、笑顔でいる強さに圧倒されたのだ。

 

人それぞれだけど……。

我が家は我が家で考えてのこと、だけど……。

 

あ。

そうか。

 

どっちでもいいんだな。

どっちもきっといいんだよな。

 

なんかそう思えてホッとした。

 

息子が、今日、笑顔で、スイミングで知り合った仲間と笑い合っていたのをみて、また、ホッとした。

 

うん。

これでいい。

 

とりあえず、だけど、いいことにしよう。

 

1000記事目に何書こう!

2年半以上も毎日ブログを書き続けていたのに、やはり、一日書かない日が生まれると、ポツリポツリとお休みする日が増え、今日なんか5日ぶりの更新となってしまった。

 

日々、何もないわけではない。

 

怒ったり、笑ったり、泣いたり……。

 

大人だから、表に出した顔と、心の中の状態とが、違う場合もあるけれど、ちぐはぐになりながらも、たくさん感じ、思い、考えて暮らしている。

 

だけど、書かない日があると、「書く」ということが特別なことに思え、妙に構えてしまうものだと感じた。

 

ましてや、この記事は、実は、ブログを始めてから、1000記事目なのだ。

5日も書けなかった理由の一つに、それもある。

「1000記事目に何を書こう!」

ってちょっと気負ってしまったのだ!

 

迷っていたら、日が経つにつれて、なんだか、どんどん書けなくなってきた。

 

「特別」って素敵だ。

「非日常」と言ってもいいかもしれない。

 

「1000」って私にとって特別なものだけれど、それは、たまたま、ブログのカウント機能が数えてくれていただけであって、自分自身が、毎日数えていたわけではない。

 

本当は、「日常」の一コマなのに、数字とかをみてしまうと、なんだかガチガチになってしまうものだと思った。

 

筋トレみたいなもので、書いていないとなんだか筆が鈍る。

筆?

いや、タイピングか。

 

仕事で文章は打つけれど、そうではなく、自分の思いを綴ることはやはり私に精神衛生上必要なことのようにも思う。

 

構えた割に、本当に、どうでもいいような内容になってしまった。

 

でも、それが今の私だから仕方ないか。

 

自分なりに頑張って、精一杯生きているんだけれど、なんだか、何かが違うように思う今日この頃。

 

それでも、1000記事も、ブログが書けたことを喜ぼうと思う。

 

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「怒り」の感情の扱い方が多分下手な私

怒ることが苦手だ。

怒る前に泣きたくなる。

 

だけど、泣くことも、大人気ないと思うから我慢すると、本来の怒りで体から湯気が出ているのではないかと思うくらい、体が熱くなる。

 

だから、多分、素直に号泣できる赤ちゃんや子どもたちを見るとイライラするんだ。 

自分の子にも、他人の子にも……。

 

なんだか

「泣きたいのはこっちだよ」

「ちょっとは我慢しろよ」

という冷たい言葉が脳裏に浮かぶんだ。

 

その子たちには罪はないのにさ。

 

もちろん、そんなこと、口には出さない。

だけど、冷たい言葉が浮かんだ自分にうんざりするんだ。

 

元は、怒りを我慢していることが発端だと思う。

 

怒りを感じると、

「この怒りは『正当』?」

って自問自答する。

 

感情的になっているのか、冷静なのか、よくわからないけれど、今、この怒りに任せて、ぶちまけてしまったら、大変なことになるんじゃないかと我慢する癖がついている。

 

それが大人であり、然るべきなのだ。

 

そう思いながら、何か違う気もする。

 

「怒る」ってなんだろう? って途方にくれる。

 

できれば、感情的になってしまうのは避けたい。

だけど、怒っているんだということを表した方がいい気もする。

 

そんなことを思いながら、文字を書いていたら、本当は、私は悲しくて、困っているんだと気づいた。

 

怒りとは、悲しみと困り感を足したものでできているのかもしれない。

 

怒りという表現でなく、困っていることを伝えて、人に動いてもらおうか?

 

どうしたらいいのか? まだよくわからないけれど、不器用でもどうにかして、思いを人に伝えながら、うまくやっていかないといけないのだな……。

 

悲しいけれど、頑張ろう。

親を大切にしているつもりでも、その温度は知らないうちに変化しているのかもしれない。

結婚し、実家を出ると、普段の生活の中の、親や兄弟の影が薄れ、その分、自分の中の愛情を注ぐ対象としての順位や割合に変化が現れる気がする。

 

特に子どもが生まれると、そこに大量に愛情が必要になり、その他への愛情が減ったり薄くなったりする気がする。

 

もっと泉のように、愛が湧き上がればいいのだけれど、不器用な私は、そうもいかない。

 

そんな思いは、女性だけかと思ったら、旦那もそうだと言った。

 

実家暮らしの義兄の、病気の義母に対する愛情と、自分のそれを比べて、全然違うと感じたらしい。

 

愛情がないわけじゃない。

だけど、その質というか濃さが違うと感じたそうだ。

 

私も、実家暮らしの実兄の両親に対する愛情に、半ば、引いたこともある。

そして、自分が、薄情な人間に感じて、落ち込んだこともある。

 

親を大切にしているつもりでも、その温度は知らないうちに変化しているのかもしれない。

 

だけど、仕方ない。

今の自分の精一杯で、愛するしかない。

 

「冷たい」って思われるかもしれない。

 

それでも、私なりに、自分の実家の家族も、旦那の実家の家族も大切に思っているのだから、ちょっと胸にチクリと痛みを感じながらも、新しい自分が作った家族に、最も愛情を注ごうと思う。

 

旦那からもらった腕時計の針が止まって思ったこと

今朝、腕時計をしようとしたら、時計の針がおかしな時刻を指していた。

 

あ。

 

よく見ると、針が動いていない。

 

どうやら、電池が切れたようだ。

 

旦那が、付き合って初めての誕生日に、プレゼントしてくれた時計。

 

もう、今から、15年くらい前になる。

 

旦那がプロポーズしてくれた日も……

 

息子が生まれた日も……

 

私が笑った日も、泣いた日も……

 

ずっと私の左手首で時を刻んでくれていた時計。

 

今日一日、無意識に、左手首を眺めては、あ、今日は、動いていないから、してこなかったんだと、なんども、ハッとした。

 

用事が済んで帰り道に時計屋に寄って電池を替えてもらった。

 

ついでに綺麗に磨いてもらい、また、私の手首で時を刻み始めた時計。

 

おそらく、電池切れだと思っていたけれど、万が一故障だったらどうしようか? と不安だったんだ。

 

ああ、よかった。

 

旦那との日々を思い返してみると、喧嘩らしい喧嘩はしたことがない。

それは、相性がいいという幸運もあるけれど、おそらく、旦那が寛容だからだと思う。

 

ここ数年環境が代わり、家庭以外での活動が増えて、外に向かって気を配ることが多くなった。

その反面、家庭でのうっかりミスが増えた。

 

多分、家族に甘えていて、大切に思いながらも、優先順位が低くなってしまっている自覚がある。

 

ごめんねとありがとうを繰り返しながら、日々を過ごしている気がする。

 

息子が0歳の母の日に、花束が届いたことを思い出す。

送り主は、まだ言葉も話せない0歳の息子だった。

 

旦那がこっそり準備していてくれたのだ。

そういう人だ。

 

これからも、この時計をはめながら、一緒に時を過ごしていきたいと思う。

 

ごめんねとありがとうを繰り返しながら……。

 

子どもの気持ちを尊重してくれる大人たちに出会えていた幸運を噛み締めながら……

「俺たちに、どうするかを決めさせてくれないんだ」

「なんでも勝手に決めちゃうんだよ」

 

息子が4年生になって、クラス替えはないものの、先生だけ変わってから一ヶ月。

今も、まだ、慣れないらしい。

 

3年生の時の先生が、大好き過ぎて、きっと、新しい先生に馴染めないんだ。

私は、そう思っていた。

 

だから、きっと、時間が解決してくれるだろうし、慣れたら、それなりに、大丈夫になると思っていのだけれど、今は、まだ、無理なようだ。

 

「確かにさ、前の先生はすごいいい先生だったから、比べちゃうとどうしても、嫌なところが見えてしまうかもしれないけれど、きっと新しい先生にもいいところがあるはずだからさ、探してみてよ」

 

どうにか、息子にそんな風に言って、過ごしている最中だ。

 

で、一体、どんなところが、不満なんだろう? って思って、息子や、他のクラスメイトや、そのママから話を聞いてみて予測してみたところ、どうやら、「先生が勝手に色々決めてしまう」ということが大きな不満の原因のようだと感じた。

 

前の先生は、何か決める時

「みんな、どうしようか?」

って声をかけてくれたそうだ。

それが、今の先生は

「これをやりなさい」

と言ったり、知らない間に決まってしまったり、そういうところに不満を持っている子が多いようなのだ。

 

先生は、先生で、色々考えてくれているのだとは思うのだけれど、子どもたちの意見を聞いたり、尊重するというよりは、ご自分が思う「こうした方がいいだろう」ということを実行するタイプみたいなのだ。

 

子ども達もまだ探りながらだからなのか? あるいは、言いたくても言えないか? 諦めムードか? 理由はわからないけれど、先生本人に何か意見をするということはできないらしい。

 

そうだよね。

保護者の立場でも

「先生、もう少し、子ども達の意見を聞いて色々決めていただけますか?」

って、とても言いにくい。

 

息子には

「色々な先生がいるからさ、意見があったら言ってもいいけれど、その場の責任者の先生のいうことは基本聞かないといけないからさ」

と苦しいアドバイスをしている状態だ。

 

幸いというか、息子が繊細なタイプだということは、前の先生から、結構細かく引き継いでくれているので、例えば、避難訓練が苦手だということは知っている。

 

だけど

「廊下に近い席だから、すぐ逃げられるから大丈夫だよ」

と息子は声をかけられたらしい。

 

惜しい!

残念ながら、そういうことが不安なわけじゃないんですよ。

 

いつ、サイレンがなるかとか、そのサイレン自体の音にびっくりするとか、そういう不安なんですよ。

 

説明しないとわからないのかもしれないし、かと言って、説明する必要があるのかどうかもわからないのだけれど、さすがに、その理由までは、まだ理解されていないようだ。

 

こうして考えてみると、幼稚園の時は、そういった細やかな対応をしてくれる園を選んだし、小学校に入ってからの3年間も、ラッキーなことに、細やかな対応をしてくれるタイプの先生にお世話になることができていたんだ。

 

 

これは、当たり前のことではなく、本当に幸運なことだったのだと改めて気がついた。

 

今の先生も、悪い人ではないと思う。

ただタイプが違うだけ。

色々な人が存在するということを学ぶチャンスでもある。

 

私自身も、息子の気持ちを尊重しているつもりだけれど、良かれと思って勝手にやってしまっていることはないだろうか? と、自分に問いかける気づきももらえた。

 

それでも、息子が、できるだけ、楽しく落ち着いて学校での時間を過ごせるように、親として、先生に説明する努力はしようと思う。

 

でも、先生も人間だから、なかなか、うまくはいかないかもしれない。

 

私自身も、先生のいいところを探すようにしながら、学校に協力もしながら、今年度も親子共々成長できたらいいなと思う。

 

そして、やはり、私は「子どもの気持ちを尊重する」ということをできるだけ大切にして、これからも、子育てしたいと思う。

 

発熱したのに、一晩でこんなに回復するとは思わなかった!

昨日、仕事は休みだった。

当初のPTAの仕事が延期になり、それなら、行けていなかった展覧会にでも行こうかな? と思ったのだけど、なんとなく、調子が悪かった。

 

前の晩から喉が痛くて、鼻水も少し出てきていた。

熱は平熱。

 

どうしようかな?

 

行ったとしても、息子は、13時半には帰ってきてしまうので、かなりの強行軍になってしまう。

 

やっぱり今日はやめておこう。

 

そう決めた途端、体の力が抜けて、何もする気が無くなった。

 

あとで考えてみれば、それは、単なる怠けではなく、具合が徐々に悪くなってきていたのかもしれない。

 

息子が帰ってくる前にほとんど何もすることができなかった。

かろうじて、掃除機をかけただけだった。

 

徐々に声が枯れて、咳も出始めた。

昨日は、5月だというのに冬のように寒い日だった。

だから、具合が悪くて、寒気がするのか、気温が低くて寒いのか良くわからなったけれど、とにかく、寒かった。

 

それでも、息子のスイミングスクールを、息子の具合が悪いという理由以外で休みたくはなかったから、私は、息子と一緒に歩いてスクールに向かった。

 

息子が泳いでいる間に、買い物をしていたら、なんだか、体が熱くなってきた。

 

もしかして、熱が出たかな?

 

気のせいだったらいいけれど……。

 

滅多に熱を出さない私としては、微熱ですら、恐ろしかった。

 

家に帰って熱を測ると、37.5℃だった。

 

まずい。

 

平熱は、36℃くらいなので、私にとっては、結構な熱だ。

 

明日は仕事だし、困るな。

 

とにかく、やるべきことをやって、早く寝よう!

 

昨日に限って旦那は帰りが遅かったので、「お母さんは具合が悪いので、協力して!」と息子に伝えて、急いで、寝る準備をした。

 

一寝入りし、夜中に起きて、熱を測ると、38℃になっていた。

このまま熱が上がり続けたらどうしよう?

 

私は、夜遅くまで働く社員さんの代わりに、出勤時には、朝のお店の準備などをすることになっていたから、朝、休むことを連絡しても、なかなか連絡が取れないかもしれない。

開店に支障をきたすことが不安だった。

 

だったら、休む可能性があるとわかっている今、連絡をした方がいいかな? って思って、LINEした。

 

「お大事に」

 

みなさんそう言ってくれて有り難かった。

でも、それと同時に、どうにか熱が下がって、会社に行きたいという気持ちでいっぱいになった。

 

とにかく、今は、寝よう。

 

普段と違って気をつけたのは、風邪薬を飲まないことと、冷やしすぎないこと。

熱が出たということは、早く回復する可能性が高まっているのだと捉えて、とにかく、寝た。

 

朝になって熱を測ると、36.9℃になっていた。

 

ほんの少しだけ、頭が痛かったけれど、どうにか、仕事には行けそうだ。

 

急いでLINEを打って、お騒がせしたけれど、熱は下がったので、出勤する旨を伝えた。

 

まだ、鼻水は残っていた。

けれど、風邪薬を飲み続けて、“熱はないけれど、怠いという状態”とは違って、なんとなくスッキリしていた。

 

自然治癒力に頼ってみてよかったと思った。

 

おそらく、もともと体力もあったから、回復も早かったのだとは思う。

 

私は、子どもの頃から、割とすぐに病院へ行く方だった。

健康な方だったから頻度は高くないけれど、「念のため」と言って、早めに医者にかかった。

 

医者にかかること、薬を買って飲むこと。

それ自体は、悪いことではないし、必要な場合もあるけれど、闇雲に飲んでしまうことは良くない気もする。

 

どっちがいいのか、良くわからないけれど、これからも、その時の自分の感覚で決めようと思う。

 

今日は、久しぶりに慢性蕁麻疹がひどいので、アレルギーの薬は飲むことにはする。