今日、息子は、学校を休んだ。
昨日から、咳が出始めて、深夜に発熱した。
朝になって、微熱に落ち着くも、まだ、喉が痛く、頭痛もするということで、学校を休むことにしたのだった。
今日は、学校公開もあり、「下水道の出前授業」という珍しい授業もあったので、本当は行かせたかった。
でも無理をさせてしまうのも、かわいそうだと思い、旦那とも相談し、本人の意思を尊重して、休ませることにした。
近所のお友だちに、「欠席する旨」を書いた連絡帳を預けながら
「ああ、下水道の出前授業、受けさせてあげたかったな……」
と小さく呟いてみた。
おや?
口にしてなんだか違和感を感じた。
下水道の出前授業を見たかったのは、もしかして、息子ではなく、私の方ではなかったのだろうか?
「ああ、下水道の出前授業風景、見たかったな……」
今度は、そう呟いて、しっくりきた。
そうだ! 私が、見たかったんだな。
自分の本当の気持ちに気がついて、苦笑いした。
そもそもだが、基本的に、私はまだ、「息子が学校を休むこと」自体をあまり快く思っていない。
例え、体調がよくなくても、ああ、もちろん、最終的には、認めるけれど、できるだけ、学校に行って欲しいと思ってしまう。
息子は、毎週月曜日に、ナーバスになるも、本格的な不登校ではないけれど、気質が繊細な方なので、いつか、そんな日がきたら……と、密かに不安だ。
いざという時が、もしもきたら、どっしりと構えていられるように、心構えは準備しておきたい。
しかし、息子が休みたい言った時に、なんの、わだかまりもなく「いいよ」と言える心情には未だに至っていない。
親としての精神的に、おおらかに、そして、強くならないといけないなと思っているところだ。
一方で、最近、様々な本や、YouTubeやネットの記事などを見聞きしていると、息子たちが大人になる時代と、今、私たちが生きている時代では、全く、価値観とか常識とかが違っているのだろうという話を、とても信憑性高いものとして捉えている。
こんな本や……
こんな本……
などを読んで、勉強したいと思って、買ってはいる。(読んでいる途中)
まだ、全部読んでいない状態で、言うのは、早いかもしれないけれど、必ずしも、「学校にきちんと行って、かつての私のように、自分の頭で考えず、先生は、大人は何を求めているのだろうか? と察して、それに沿ったいい子であり続けること」がいいことではなく、「自分で考え、試行錯誤していく姿」こそ、新しい時代に必要なことかもしれないと思う。
「今まで通り」では、いけない気がしながらも、現代の「普通」や「常識」とされることにも「NO」と言うほどの違和感もなく、そうかといって、来たる新しい時代のリサーチもほどほどに、我ながら、中途半端だなと、思いつつ、今を生きている。
息子のことも考えつつ、自分のありたい姿も見極めつつ、自分の幸せと、息子、旦那の幸せをチームで実現するために、成長していきたい!
来たる新しい時代を、自分の五感で感じきるために!