最近、なんだか、ちょっと、寂しい。
旦那ともうまくいっているし、息子とも意見を言い合いながらも、仲良くやっている。
友達とも、職場の仲間とも、何かトラブルがあったわけじゃない。
なんというか、ちょっと置いてけぼり感を味わっている。
理由は様々だけど、例えば、職場とか、あるいは、PTA活動とかで、今すぐとか、来年度とか時期もまちまちだけど、辞める、卒業するって人が多い。
ああ、あの人とも、この人とも、もう一緒に同じ方向を向いて活動できないんだなって思うと、寂しくて仕方ない。
理由はそれぞれだけど、おしなべて、皆、「本当の自分の心の声に従っている」感じだ。
もしかしたら、それが羨ましいのかもしれない。
彼女たちの門出を、一緒に喜んであげないといけないのだけれど、表面的には、喜ぶことはできるんだけど、そこに100パーセント気持ちがいかないことがね、なんだか、情けない。
PTA活動に関しては、「できる範囲でならお手伝いしたい」「学校に関わって情報が欲しい」とか打算的なものがあれど、後一年、お手伝いしようと決めたのは、自分なんだけれど、「もしも、誰か他の人がやってくれるのだったら、喜んでお譲りしたい」気持ちも、確かにある。
ぶっちゃけ、やらないで済むなら、もう2年もやったし、やりたいくない。
限られた時間、もっと自分に使いたい、文章も書きたいし、本も読みたい!
でも、引き継ぎは、やらないと、ずっと後悔しそうだし、やるって決めた。
しかしながら、経緯がどうあれ、辞めることができる人が羨ましいのも事実。
会社の仕事も、大変なこともあるけれど、やりがいはあるし、それこそ、子ども関係の都合で融通を効かせてもらえることにも、本当に感謝している。
微力ながら、お役に立てているのならと思って、やっているのだけれど、側で、「本当にやりたいことに出会えた人」がチラチラ見えちゃうと、これって、私の本当にやりたいことなのかな? って考えちゃって……。
「〇〇すべきじゃなくて、〇〇したい気持ちが大切」って聞いて、久しくて、でも、どうしても、今、何をすべきなんだろう? これやらないと、困る人いるだろうな! とか、他人軸で考えちゃうところがあって、〇〇したいって言って、この場を離れてしまったら、いけない気持ちが強い。
だけど、もしかして、誰かがやらないといけないことがあって、それが、心底、嫌というわけではなかったら、敢えて、それを笑顔で引き受けるのも、一つの勇気なのかもしれないとも思う。
もちろん、絶対に、どうしても嫌なことは、断っていいし、断るべきだけれど。
自分の意思で、「人助けをする」って、「ここでもう少し頑張る」って、決めたんだって思えば、人に流されて生きているわけではないはず!
そう思って、少し気が楽になったと思いきや、余計に肩に力が入ってしまった。
それを見ていた旦那が
「決めたからって、次の瞬間気持ちが変わったっていいんだよ」
と言ってくれたから、ちょっとホッとした。
そうだ!
仲間を見送っても、寂しくても、ここで、もう少し頑張ってみるんだ、私。