涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

夢を生きがいとして~高校2年生の時の《聞き書き》~【後編】

私が、高校2年生の時に

『父の半生』を《聞き書き》した【後編】です。

よろしかったら、【前編】【中編】から、お読みください!


夢を生きがいとして~高校2年生の時の《聞き書き》~【前編】

夢を生きがいとして~高校2年生の時の《聞き書き》~【中編】 からのつづき




給料ももらえず、朝から夜中まで、

時には、明け方まで働いても

さばききれないほどの注文で忙しい毎日だった。


このままでは、やっていけないと、

29歳の時、

東京に出てきていた従姉妹とその旦那が

自動車屋を始め板金屋を必要としているのを聞き、

そこで働くことを決心した。

私は、それぞれが独立して

場所のみを借りるつもりでいたが、

相手給料制を主張した。

私は軌道に乗ったら独立する条件で、

給料制に同意したが、

現実にはうまくいかず相手の思惑にはまり、

時がたつにつれ少ない給料と待遇の悪さなど、

感情的にも限界まで来ていた。


そんな頃、縁あって結婚した。

結婚すれば今までの低賃金ではやっていけず、

以前から自分の力でやってみたいと思っていたところ、

妻の助言もあって、独立することにした。


それから、

子どもも男の子と女の子一人ずつ生まれ、

色々なことがあった。

今まで、その時その時一生懸命生きてきたので、

そういった意味の思い残しはないが、

自分を犠牲にしすぎたので入るものも入らなかったのが

少し残念である。

先にもいったが、

私は自分の力で何かものをつくることが好きだった。

今でも好きである。

だから今でも色々博覧会を見に行ったり

何か人のできない役立つ物を作りたいと思い

特許に出したりもしている。


もし私が、若い頃に戻れても、

同じような事を考えるのではないか。

いい大人が、ばかばかしいと思われるかもしれないが、

私はいつまでも遊び心を大切にしたいと思っている。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―


私は、この《聞き書き》を久しぶりに読み返して、

『父の半生』を改めて目にしました。


高校2年生の時に、

聞いて自分で書いたはずの内容なのに、

大人になって改めて読んでみると、

忘れていたことがたくさんあり、

新鮮で違った視点で見えました。


父は、この頃、53歳。


この時から、また、27年経っています。


その後も、私たち家族のことを考えて、

大きな冒険をしたわけではありませんが、

お金のことを考えて、職場を変えたり、

人間関係で悩んだり、

大病をして、何度か入院したり・・・


80歳になる今、父が、人生を振り返った時に、

どう思っているのか?


人はそれぞれ《自分の人生》の主役なはずですが、

父は、主役感があったのだろうか?

と気になります。


そして、人は、《自分の人生》を生きると同時に、

属する集団、例えば、この場合は、【家族】ですが、

【家族の歴史】の中で、時には、主役になったり、

脇役になったりして、生きているのかもしれないな。


あるいは、

《自分の人生》が自分が主役のドラマの本編とすると、

《他の家族の人生》がそれぞれのスピンオフ作品のように、

他の家族を主役としてのドラマがあるような気がします。


すごく近くにいるのに、

脇役としてそれに出演しているからか、

俯瞰できていないなと感じました。


それにしても、

父は、

本当に、人の気持ちを優先して、

自分を犠牲にして、

大変な思いをしていたなと思います。


『父の人生』の中で、私が娘として登場してから43年。

約半分は、近くで見てきたのですが、

父は、主役感を持てていただろうか?


本人に聞いてみないとわかりませんが、

その中の、一部でもいい、瞬間瞬間でもいい、

父が幸せを感じていてくれたらいいなと思います。


だからこそ、

私も母親として、息子に

「お母さんは幸せだよ」って言えるように、

今を精一杯生きたいと

改めて思いました。


機会を作って、

父をまた、語り合いたいと思います(*^_^*)