私が、今、働いている天狼院書店には、「〆切部屋」というのがある。
《作家の先生、著者の先生をお預かりして、「閉め切り」状態になっていただき、「〆切」をなんとしても、守っていただく、というサービス》
そう聞いた。
〆切……。
私の習っている、同書店のライティング系のゼミでも、毎週〆切があって、それを1分でも過ぎると、その週は記事を受けつけてくれない。
だから、その日の23:59を目指して、受講生は記事を書く。
しかし、それは、自分との約束であって、もしも、それを破ったからといって、怒られるわけでもなければ、ペナルティが課せられるわけでもない。
しかし、プロとなれば話は別だ。
〆切を守らないことによって、その先の過程で、待っている人に迷惑をかけるかもしれないし、読むことを楽しみに待っている読者だっているのだ。
大変だろうな……だけど、素敵だな……
私は、ゼミ受講中、〆切は、ずっと守ってきた。
そのことを、半ば、誇りに思っていたけれど、違う気もしてきた。
反省すべきは、〆切を守ることを最優先にしているため、コンテンツ、つまり、読み手が時間とお金を費やしてもいいと思えるものとしての価値を高めきれなくて、出すこともある点だ。
そこが、甘いと、自分でも思う。
納得いかなくても出してしまうこと……
うまくいったと思って、コンテンツになっていないこと……
〆切を守る。
そのことは、とても大切なことだけど、それ以上に大切な、「面白いと思ってもらうこと」ができていないことは、もっといけないことなんだと痛感している。
「忙しいこと」を言い訳に、〆切を守らないのが嫌だったけど、「忙しいこと」を言い訳に、面白くないのはもっとよくない気がする。
〆切を守るということは、面白いものを作り上げるという前提があってこそ、意味があるのかもしれない。
もちろん、失敗もあると思うが、転ぶなら前のめりに転びたい。
私は、今、その「〆切部屋」のすぐ近くで働かせてもらっている。
物理的には、すぐに入れる場所だ。
しかし、精神的な部分で、それができないでいる。
そこには、見えない壁がある。
その壁がいつかなくなって、私も、〆切を待ってもらえるような人になりたい。
〆切部屋の近くで、〆切を守らない選択をするのは辛いけど、この時期に、自分の在り方を考えてみようと思う。
まだ越えられないとしても、たくさんの人に、文章や本を通じて幸せを与える人のそばで働けることを感謝し、私も、コンテンツを生み出せる人を目指し続けたい。