息子が眼鏡をかけることが決定した日
とうとう息子が、眼鏡をかけることになった。
ひと月前から、その可能性は示唆されていて、目薬でも視力の回復が見込まれない場合は、眼鏡にしましょうと言われていた。
一か月間、目薬を差した結果、右目は少し回復するも、左目は逆に悪化していた結果、眼鏡をかけることになった。
予想はしていたし、覚悟はしていたから、冷静に
「わかりました」
と言えたけれど、胸の奥はやはりざわっとした。
それでも、どうにか平静を保てたのは、ひと月前のブログに、息子が眼鏡になるかもしれない戸惑いを書いて、それにいただいたコメントにに励まされたからだった。
それに、息子自身は、眼鏡に対して、あまり嫌な感情がないことが救いだった。
息子が、ひとりで検査室に行っている間、待合室で、今までの自分の息子に対する声掛けが充分だったかなとか、いろいろ考えた。
なんとか前向きに捉え始めたころ、私と同じように、眼科で、眼鏡の可能性を言い渡されていた保護者の女性が、我が子が眼鏡になることをすごく嫌がっていたのを見た。
「なるべく眼鏡にしないように先生に言うこともできますけれど……」
検査の人の言葉に頷いていた。
その女性の気持ちがわかるのと同時に、同じタイミングで、それでも受け入れる気持ちを共有できないことが少し寂しかった。
彼女も眼鏡をかけていたから、思いは複雑なんだろう……
検査用の眼鏡をかけて待合室に戻ってきた息子は
「重くて顔が痛い」
と言っていたけれど、だからと言って、嫌だとは言わなかった。
「これは、検査の眼鏡だから、普通の眼鏡はそんなに重くないよ」
「そんなの知っている。でも痛い」
「じゃあ、検査の人に話してみたら?」
「だけど、これは、レンズの様子を見てる時間だから」
息子は、思いの外、しっかりわきまえていた。
どこで買ってもいいと言われたけれど、試しに見せてもらったフレームが気に入ったようだった。
少し迷ったけれど、その眼科に入っている眼鏡屋で買うことにして、お願いした。
息子が少し楽しそうで、ホッとした。
とりあえず、学校の行き帰りと授業中にかけることが始めるそうだ。
人がどう考えているのであれ、眼鏡になったことは、受け入れよう。
せっかく、息子が明るく捉えているのに、私が、暗くするのはナンセンスだ。
だけど、これ以上悪化しないように、生活習慣を見直して、目は大事にしようという声掛けは続けようと思う。