涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)高1ひとりっ子男子(2024年4月現在)の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る50代ライターのブログ

息子が眼鏡をかけることが決定した日

とうとう息子が、眼鏡をかけることになった。

 

ひと月前から、その可能性は示唆されていて、目薬でも視力の回復が見込まれない場合は、眼鏡にしましょうと言われていた。

 

一か月間、目薬を差した結果、右目は少し回復するも、左目は逆に悪化していた結果、眼鏡をかけることになった。

 

予想はしていたし、覚悟はしていたから、冷静に

「わかりました」

と言えたけれど、胸の奥はやはりざわっとした。

 

それでも、どうにか平静を保てたのは、ひと月前のブログに、息子が眼鏡になるかもしれない戸惑いを書いて、それにいただいたコメントにに励まされたからだった。

 

それに、息子自身は、眼鏡に対して、あまり嫌な感情がないことが救いだった。

 

息子が、ひとりで検査室に行っている間、待合室で、今までの自分の息子に対する声掛けが充分だったかなとか、いろいろ考えた。

なんとか前向きに捉え始めたころ、私と同じように、眼科で、眼鏡の可能性を言い渡されていた保護者の女性が、我が子が眼鏡になることをすごく嫌がっていたのを見た。

「なるべく眼鏡にしないように先生に言うこともできますけれど……」

検査の人の言葉に頷いていた。

 

その女性の気持ちがわかるのと同時に、同じタイミングで、それでも受け入れる気持ちを共有できないことが少し寂しかった。

 

彼女も眼鏡をかけていたから、思いは複雑なんだろう……

 

検査用の眼鏡をかけて待合室に戻ってきた息子は

「重くて顔が痛い」

と言っていたけれど、だからと言って、嫌だとは言わなかった。

「これは、検査の眼鏡だから、普通の眼鏡はそんなに重くないよ」

「そんなの知っている。でも痛い」

「じゃあ、検査の人に話してみたら?」

「だけど、これは、レンズの様子を見てる時間だから」

息子は、思いの外、しっかりわきまえていた。

 

どこで買ってもいいと言われたけれど、試しに見せてもらったフレームが気に入ったようだった。

少し迷ったけれど、その眼科に入っている眼鏡屋で買うことにして、お願いした。

 

息子が少し楽しそうで、ホッとした。

 

とりあえず、学校の行き帰りと授業中にかけることが始めるそうだ。

 

人がどう考えているのであれ、眼鏡になったことは、受け入れよう。

 

せっかく、息子が明るく捉えているのに、私が、暗くするのはナンセンスだ。

 

だけど、これ以上悪化しないように、生活習慣を見直して、目は大事にしようという声掛けは続けようと思う。