涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)中1ひとりっ子男子の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る40代主婦のブログ

必要な「しつけ」を怠ってしまったのかもしれなくて、雨の中、トボトボと歩いた日

小5の息子がHSC(ひといちばい敏感な子)かもしれないと思ったのは、息子が幼稚園の年長の頃だった。

 

幼稚園に送りに行った私と離れるのが嫌だと入園時からずっと変わらず3年間泣いていたことにほとほと参ってしまった時に、HSCの概念を知りホッとしたことを覚えている。

 

HSCを知った後はなるべく息子の気持ちに寄り添うように接することを一番に考えて子育てをしてきたつもりだ。

 

HSCを知る前も、「普通」は泣かないところでも泣いている、とか、ずっと私の側を離れない、ということはあって、そのことにイライラしたことや私が参ってしまって泣いてしまったことはあるけれど、声を荒げて何かを注意したりしたことは、片手で足りるくらいしかない。まあ、苦い思いと共にだけど……。

それは、慎重派なので、私に叱られるようなことを自らすることはほとんどなかったから故だと思う。

 

同じクラスの子に嫌なことをすることはなかった。

そもそもお友だちとの交流もほぼなかった。

 

幼稚園の行事で、場所を移動できない「整列時」に前に並んだやんちゃな子に手を捻られて泣いたことはあったけれど、自由に移動できるときは、息子自身の気配を消していたり、揉め事から離れたところにさっと移動していたので、被害者としてのトラブルもほぼなかった。

 

だから、私は、息子に対して「しつけ」という形で何かをした記憶があまりない。

けれども、別に何か言ったわけではないのに、脱いだ靴をちゃんと並べていたときはびっくりした。

もちろん、私がきちっと何かするタイプではないので、何も言わないのに全ての必要な「しつけ」がきちんとされているわけでもない。

他人から見て、「これはもう少しきちんとした方がいいのでは?」と思われることも多々あると思う。

しかし、通常の生活レベルでは、さほど、注意が必要なほど乱れているとも思っていない。

 

けれども、今日、ガツンとやられた。

それは、旦那からの言葉だった。

 

もしかしたら、私の「しつけ」がきちんとされていなかったから、こんなことになっているのかもしれないと思ったら、いたたまれなくなったのだ。

 

それは息子の「口の悪さ」だ。

最近、言葉遣いが悪いのだ。

 

しかし、いつもいつもというわけではない。

ある友だちに対してだけ、特に、ゲームをしているときがひどい。

 

その友だちを、仮にAくんとする。

 

これは、今日始まったことではないのだけど、ここ数ヶ月で酷くなってきた気がする。

息子の言い分を聞けば、Aくんがゲームの時に「ルールを守らない」から再三守るように言うのだけど、「うん」と言いつつ全く言うことを聞いてくれなかったり、身勝手なことばかりするので、息子がキレてしまうということらしい。

 

そのことを聞くと息子の言い分に一理あると思うけれど、だからと言って、ひどい言葉を言ってしまうのはダメだと私は息子に言っているところだ。

 

息子は「わかったけど、絶対に言わないとは約束できない」と言う。

息子もダメなのはわかっているけれど、感情的になってしまうと、自分の脳が何者かに乗っ取られてしまったようになり、気づくと言ってしまう、と言うのだ。

「感情のコントロールは難しいかもしれないけど、言ってしまってダメなものはダメなんだ」と伝えている。

 

「わかった。我慢する」

そう言って、この前遊んだら、まだひどいことを言っていたので、私は、たまらず

「ちょっと怒りすぎだよ。今の言い方はダメだ」と初めて子どもの言い争いに割って入った。

 

そのあと、息子と話し合い、「どうしてイライラするのか?」「もしかすると、Aくんには〇〇(息子)の怒っている理由がちゃんと伝わっていないかもしれないよ?」「Aくんはルールをちゃんと理解していない可能性はないかな?」「ゲームが始まる前にルールとか最終的な目的(ゴール)を説明した方がいいのではないかな?」「人のことは変えられないから、自分が変わるしかないよ」などといろいろ伝えた。

 

息子は自分を責めて泣いていた。

「家に呼ばなきゃよかった。俺はダメなやつだ」

そう言いながら……。

 

そんなことがあって、私は、このような状態で、Aくんにうちに遊びに来てもらうことが、Aくんにとっても、息子にとってもいいことではない気がしてきた。

しばらく距離を取った方がいいのかもしれないと感じた。

 

ゲームを挟まなくても、今、Aくんと息子の関係はあまり良くない。

毎日は揉めないけれど、学校でも口喧嘩はしているようだ。

「空気を読みすぎる」息子と、「空気を読みにくい」Aくんという真逆の組み合わせにより、友情と苛立ちと嫉妬、好きと嫌いの感情が絡み合っている気がする。

一種の依存関係にもあるのかもしれない。

「なんでも言い合えるという」関係が、今はあまり良くない形として現れ、傷つけ合いも生じている気もする。

 

実は、私だけでは困ってしまったので、担任の先生にも間に入ってもらって、調整してもらうこともあるのだけど、先生は、

「似た者同士という側面もあると思うんです。2人がそれぞれ、私に言いに来ることってよく似ているので」

と言っていて、驚いた。

近親憎悪みたいな状態でもあるのかな……。

 

旦那とも、時折話していて、息子がひどい言葉を言っているんだと初めて言った日には相当ショックを受けていた。

今朝もまた話し合った。

で、言われた言葉に、今度は私がショックを受けたのだ。

 

「人を傷つけるような言葉を使う子に育ててしまった自分たち親にも責任がある。それまでのレベルだったんだ」

 

無論、旦那は別に私ばかりを責めていたわけではなく、むしろ私以上にショックを受けて、自分自身を責めていたのだと思う。

仕事や様々な大変な中、息子のこと、特に息子の社会性に対することに関しては私以上に関わってくれているから。

 

けれども、その言葉は、かなりキツかった。

私の心に刺さった。

涙が溢れてしまった。

今までの子育てを全部否定されてしまった気がしたのだ。

 

旦那が会社に行って、家事をやってから、家にいると息が苦しくて散歩に出かけた。

小雨だった雨は、雨足を強めてきた。

その中を、傘をさしてトボトボと歩いた。

 

歩きながら、今朝、息子に言った言葉が思い出された。

「こうして強めに言っているのは、〇〇の全てが悪いと思って言っているわけじゃない。ただ、そうやって人を傷つける言葉を発してしまうのはダメだから、その部分がよくないと言っているだけなんだよ。〇〇を大切に思っているからこそ、キツイことも言っているんだ。〇〇がAくんに対して『怒りの感情』が生まれるってことは、〇〇が大切にしているものを大切にしてもらえなかったからだと思う。だけど、それをどう表すかはちゃんと考えなきゃいけないんだよ。また、一緒に考えよう」

 

そうだ。

私が間違っていたとしても、それは全部がダメだったんだじゃない。部分なんだ。

ダメだったことがあったとしたら、それは何がよくなかったのか? 考えること、そして、これからどうしたらいいのか? 考えること、きっとそれが大切だ。

 

一生懸命育ててきた我が子が、人を傷つけてしまったと気づいた時、「うちの子に限って」とか「何か事情があったはずだ」と思いたいものだと、そういう事態になってはじめて感じる。

 

親同士で話す時「うちの子は、もうこんな感じで嫌になっちゃう」なんてネガティブなコニュニケーションを取りがちだけど、本当の部分では、うちの子は悪くないと思っているものだと思う。

思いたくないのだ。

 

しかし「信じて待つ」ことも大切だけど、「何かよくないことが起きている」と認めることも大事だと思う。

やはりここぞ、という時に、親としての考えをちゃんと伝えなければならないと感じている。

その「親としての考え」というものすら、正解なのかもわからないけれど、それを疑うことも含めて、ちゃんと膝を交えて、話し合うことが大事なんだろうな。

 

また本屋で数日前にこの本を買ってしまった。

 

 まだ読み途中だけど、息子と一緒に考えたいと思う。

 

そう言えば、最近、夜なかなか眠れない時に、息子は1人で数を数えながら「ハーバード式呼吸法」をやっている。

 

リラックスや安眠に効果ありと言われているものだ。

気になる方はこちら↓

 

https://lifepages.jp/478breathe-17174

 

一度教えたら、効果を感じたのか、自分でやっているのだ。

 

親はずっと側にいてあげられないから、自分で自分の心を整える方法を一つずつ覚えてくれたらと思う。

 

息子が成長することでAくんと楽しく遊べるようになれたらいいけれど、もしも、どうしても相性が悪いのだったら、無理に一緒にいなくてもいいのかもしれない。

 

でも、その中で、自分が意図しなくても、自分の発言や行動により、相手を傷つけてしまった時にはちゃんと謝る勇気を持ってほしいし、人のことを見下すような発言もしないでほしい。

 

「気持ちに寄り添う」という態度や、我が子をコントロールしないという態度が、バランスを崩し偏ってしまった時、必要な「しつけ」を怠る結果に繋がってしまう可能性に注意したいと思う。

 

自戒を込めて、ここに記事を書いた。