今日、2019年7月19日、「初回午前9時一斉上映」で、『天気の子』を観てきた。
最近映画館で映画を観ることがわりとあり、映画館で『天気の子』の予告をみた時から、絶対に観ようと決めていた。
明日、7月20日(土)から小5の息子の夏休みが始まるので、一人で観に行くには今日しかない。
そう思って、数週間前に映画館のサイトを覗いてみたら、この「初回午前9時一斉上映」のチケットの予約が始まっていて、反射的に予約してしまった。
しかし、9時スタートは結構慌ただしい。
息子を送り出してから10分ほどで家を出ないと間に合わない。
早起きして洗濯物も干し、シャワーを浴びている旦那に浴室の扉越しに「ごめん、先に家を出るね」と声をかけて、小雨が降る中家を出た。
初回は、問答無用で「IMAX」のスクリーン限定だった。
「IMAX」は通常のスクリーンよりも音響がいい分追加料金がかかる。
そこまでいいかな?と思ったけれど、指定されているので今回は仕方ない。
席に着くと、続々と人が集まってきた。
満席ではなかったけど、広い会場の4分の3くらいはうまっていた。
IMAXで、 映画の予告のアクションシーン見た時に、音が大きすぎて、わ、ちょっと、これが2時間続くときついなって思ったのだけど、「天気の子」本編のIMAXはよかった。
2時間引き込まれっぱなしだった。
よかった。
すごくよかった。
何度も泣いて、感情もぐるぐる動いてので、これはしっかりと書き留めておかないと、と思い、先ほど、ひとまず、ネタバレとか気にせずに感想をWordにまとめた。
書き留めて、ああ、私はこう感じていたんだと気持ちが整理できた。
その内容を心にそっとしまっておこうかと思ったんだけど、ネタバレの部分は避けて、やはりブログに書いておきたいと思い、今書いている。
まずは、映画のサイトから「STORY」を引用させてもらうと……
「あの光の中に、行ってみたかった」
高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。
しかし生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、
怪しげなオカルト雑誌のライター業だった。
彼のこれからを示唆するかのように、連日降り続ける雨。
そんな中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は一人の少女に出会う。
ある事情を抱え、弟とふたりで明るくたくましく暮らすその少女・陽菜。
彼女には、不思議な能力があった。
ということだ。
それから過去の作品を見て、その世界に吸い込まれそうになるくらい風景が美しいと感じて好きになった。
『天気の子』も、街並みや電車の絵がすごく繊細でよかった。
空の光や雨の描写も美しかった。
内容には触れずに、感想だけ書くとなると結構難しいものだ。
うまく表現できないかもしれないのだけど、誤解を恐れずにいうのであれば、世間の常識とか、世の中のルールを守らないとしても、大切にしたいことってあるんだなって感じた。
また、普通に生きている中で、当たり前に守っているルールって本当に大切なことなんだろうか? って考えさせられるような映画だった。
なぜそんな風に思ったのかというと、私自身は、子どもの頃から「常識とかルール」に縛られているタイプだったので、すごく新鮮だったのだ。
年齢的には大人なので、常識的な人の立場のはずなのに、映画を観ていたら、主人公の少年や少女の気持ちに近づいていた。
自分の中の大人の部分は、「ダメだよ」って言っているのに、子どもの部分は主人公を応援するというか、いや、応援するっていうよりも逆に引っ張られるというか、「いいの? 本当にそっちに行っていいの?」って、子どもの自分が本当は行きたいけれど、行っちゃダメって言われたことを守ろうとしていた部分が解放されるようなそんな思いがした。
人のためなのか? 自分の気持ちなのか? って考えさせられるところも、今、まさに自分の課題でもあり、心をこれでもかこれでもかっていうほど揺さぶられた。
本当に大切なものは何だろう。
それをじっくり考えたくなった。
とにかくよかった。
さほどアニメが大好きではないはずの私が、ぜひ初日に観たいと思ったことが不思議だったけれど、今観て本当によかった。
直感に感謝している。
音楽もよかった。
大人の人にも、まさに、若者にもおすすめしたい作品だと思った。
映画館から出て来たら、入る時小雨が降っていたのに、すっかり晴れていて、光が映画館の扉の中にすっと入って来ていて美しかった。
そこまでも、監督の演出だったら……と思ってゾクッとした。
または、何かの「はからい」かもしれない。
また観たい。
そうだ。
カップヌードルいただいた。
嬉しかった。