「ブログコンテストがあるんだ!」
何かの文章を応募したい気持ちがあった私は、ぜひ書いてみようと思いました。
しかし、テーマが「迷い」と「決断」と知って躊躇したのです。
なぜなら、私はいつも「迷い」っぱなしであって「決断」が大の苦手だから。
今、私は46歳。
まもなく47歳になろうとしています。
40歳を過ぎたばかりだと思っていたら、もうすぐ50歳。
今まで何をしてきたのだ! と焦るばかりで、この時期に「不惑」という言葉がこんなに疎ましくなるなんて思ってもみなかったのです。
とはいえ、「進学」「就職」「結婚」「出産」と結局のところなんだかんだと決断はしてきているし、そこそこどうにかなってはいます。
「子育て」に関しても、選択と決断の連続。
ついつい先人の知恵ともいうべき「マニュアル」「手順書」を探し、それに則って励行したい気持ちが強いけれど、それでも目の前の息子に合わせて、小さな決断から大きな決断までを積み重ねてこれまできています。
その事実を誇りに思ってもいいじゃないかと思うのですが、私の中にいる「検閲官」が常に見張っていて、いつも間違いじゃないかとヒヤヒヤしながら「決断」をしている気がするのです。
“世間的に”それは間違いではないのか? と常に問うてきて、例え“世間的に”正しいことを選んだとしても、小さなダメ出しをしてくるのです。
100点満点なんて取れたことはなくて、いつもその「検閲官」は不機嫌そうなのです。
けれども、そういういわゆる常識的なものを超えて何かを成し遂げたいという思いがいつもあって、そういう自分を「身の程知らずめ」「欲深い」とその「検察官」に睨まれているそんな状態なのです。
そんな時、「自己探求セラピーを受けませんか?」
と、以前から知り合いのセラピストの方に声をかけてもらいました。
私は、スピリチュアルなものに惹かれやすいと自覚しているので、こうした誘いには逆に警戒心もありました。
飲み込まれてしまうような気がするからです。
しかし、その方とお話をしているととても楽しいのです。
彼女と話をしている時の自分のことが、とても好きなのです。
だから、これは、少し大きなお金がかかるけれども「自己探求セラピー」を受けてみようと「決断」しました。
旦那には内緒にしておきたくなかったので、話しました。
すると、正直言ってあまりいい顔をされませんでした。
「大賛成してくれなくてもいいから、黙認してほしい」
と言ってびっくりされましたが、
「自分でやりたいのなら、それでご機嫌に過ごせるようになるならいいよ」
と言ってくれて、とりあえず容認された状態です。
その後、まずは1度目のセッションがありました。
何かセラピーを受けたというよりは、自分の思いをたくさん吐き出したという印象でした。
それでも、もっともっと話したいことはありました。
その時に、私の中の「小さな私」と出会いました。
でもその子は、柱の影に隠れて私のことをじっと観察しているだけでした。
とてもよそよそしく感じました。
しばらくしてから、セラピストの方に『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』ジュリア・キャメロン・著 菅靖彦・訳 サンマーク出版 という書籍を紹介されて
「よかったら一緒にそのワークをやりませんか?」
と提案されました。
まずは一読しようとしたら、惹きこまれて2日で読み終えました。
「ぜひやってみたいです!」
詳しくはその書籍を読んでもらいたいのですが、そのワークに12週間取り組むと自分自身の創造性を回復することができるというのです。
けれども、そう簡単には「〜するべき」「〜しなければならない」という思い込みから自分が解放されることはできません。
今までの思いにも愛着があり、手放すことがすごく難しいのです。
ワークを始めたものの、まだ2週目の私は、あまり変化を感じることはできていないのですが、この前、私の中のあの柱の影に隠れて私のことをじっと観察していた「小さな私」と公園を散歩したのですが、彼女はとても饒舌になっていました。
小さい時の私の気持ちを話し、今の私の子育ての悩みにも優しく寄り添いアドバイスまでくれたのです。
もちろん、これは、私の頭の中の会話であるのですが、そんな風にどんどんと想像が膨らんでいくことに驚きました。
そして、とても気持ちがよかったのです。
ワークをやると言っても、日常の中のいいことも悪いことも、厄介なことも、思い通りにならないこともある中で、粛々と自分と向き合う時間を作っているにすぎません。
それでも、今、ちょっと変化を感じるのは、日常の思った通りにならない出来事も、私の「気づき」や「成長のチャンス」だと捉えられているということです。
今日も、人に頼ることが苦手な自分が仲間にお願いして力を貸してもらうことができました。
このセラピーを受けると決めたことが、最近の大きな「決断」だと思います。
これからの半年間で何か大きな変化があるかもしれないし、もしかしたら「青い鳥」みたいにすごく近くに大切なものを見つけられるかもしれない。
もしかしたら、何も見つからないかもしれない。
でも、もし見つからなかったとしても、こうして「自分自身」と向き合う時間が私の大好物であり、大好きことなんだなって感じられていること自体がとても嬉しいのです。
先ほどの書籍の中で素敵な言葉に出合いました。
成功しても失敗しても、人生の真実は、その質とほとんど関係ないということである。人生の質はつねに喜ぶことのできる能力に比例している。喜ぶことのできる能力は、日常の細部に目をやることによってもたらされる贈り物なのだ。