今日は、息子をスイミングに連れて行った。
いつもは水曜日だけれど、今週は木曜日に行ったのだ。
経緯はこうだ。
先週、「怒鳴るタイプで、泳ぎ方を力づくで直すタイプのコーチ」に、一日で辟易してしまった息子が
「もう、スイミングやめたい」
と言っていたので
「それだったら、曜日を振り替えようか?」
を提案したのだった。
しかし、その提案が、息子にとってあまりにも急で、焦らせられたと感じたようで
「ちょっと待って! 考えさせて!」
と言っていて、保留になっていたのだった。
しかし私は、うっかりしていて、確か月曜日だったかな? 息子に
「そういえば、スイミングの振替どうする?」
と聞いたのだ。
そうしたら、一瞬迷いながらも
「じゃあ、今週は木曜日に行ってみたい」
と言ったのでその場で振替の手続きをした。
いつもは、曜日を振り替えると、「雰囲気とか人が違うから嫌だ」と言っていたんだけど、それの嫌さが霞むくらいそれ以上に先週のコーチが嫌だったんだなって思った。
そして昨日は、静かに時間が過ぎた。
そして今日。
「今日はスイミングだからね」
朝そう言ったら、頷いていたんだけど……。
今日、学校から帰ってきた息子が
「あー本当にスイミングやだ。やめたい」
そう言ったのだ。
多分、昨日の、嫌な印象のコーチを回避したことで、今日の「振替」のリスクの恐怖に襲われたんだと思う。
気持ちはわかったから、それに寄り添いたいと気持ちと、ここは心を鬼にして約束を果たさせたいという気持ちが私の中に共存した。
息子の人生ではあるのだけど、やはり、今回は息子自身が「曜日を振り替える」という選択をしたので、ここは、一旦はスクールに行き、プールサイドに立ってもらいたい気持ちが私の中に、でーんと居座っていた。
今日、振替で行って、それでもどうしても嫌な思いをしたのなら、旦那も交えて、今度のことを話し合いたいと思った。
やはりここは、別の人間といえども、親と子なので、嫌ならなんでもいいよとは言い難いところがある。
「嫌な気持ちはわかったけど、やっぱり、今日は行こう。行って、もし、曜日変更も嫌なのだったら、他の方法を考えよう。だけど、お父さんは特に、君に何かしら体を動かしてもらいたい気持ちがあるから、スイミングを辞めるのだったら、それ以外に体を動かすってことを何か見つけてもらいたいと思っているからね」
苦手なものを、無理にさせるのはどうかと思いながらも、やはり、体は動かした方がいいと思っている。
その考えは、私も共通して持っているけど、旦那の方が強めに持っているのだ。
外遊びよりも室内遊びが好きなのはわかるんだけどね。
ここが「気持ちに寄り添う」と「背中を押す」の瀬戸際で、10年母親をやっても未だに答えがわからない。
いつもは並んで歩くけど、今日は私の方が先に歩いて、後ろを息子が付いてくる感じで歩いた。
そんな日もあるよね。
今日は、ちょっと、厳しめの自分でもいい。
そう決めた。
結果、息子が結構好きなタイプのコーチで、落ち着いてレッスンを受けられたようだ。
笑顔で手を振ってきたから手を振り返した。
着替え終わった息子に早速聞いた。
「どうする? 振替じゃなくて、クラスの曜日変更しちゃう?」
「うーん。ちょっと考えさせて……」
一応空きを確認したら、空いていたので、あと数日、タイムリミットまで考えて結論を出すことにした。
どうしても、私はせっかちなところがある……。
なかなか直らないものだ。
この雰囲気だと、曜日変更することになりそうだ。
息子と私は「合わないコーチ」を回避して「やめたいけど、時々楽しいスイミング」が続けられる道を選ぼうとしている。
一つの嫌なことをきっかけに、可能性を必要以上に減らしてしまうのは寂しいから、その辺りは、親として心を鬼にしたり、または気持ちに寄り添ったりしながら、臨機応変に対応したい。
だけど、これも、正しいかどうかなんて、わからないのだけど。
とりあえず、何かを選んで進んでいくしかないのだよな。
つくづく人を育てるって難しいなって思う。
だって、こっちも未熟だから。