涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)中1ひとりっ子男子の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る40代主婦のブログ

HSP・HSCが広まりつつある中思うこと

HSP・HSCという概念がだんだんと広まってきている

 

最近、HSP(ひといちばい敏感な人)・HSC(ひといちばい敏感な子)という概念がだんだんと広まってきているのを感じています。

 

最近では、TOKYO MXテレビの「田村淳の訊きたい放題」という番組で「HSC」がとりあげられましたし、教育新聞にも「不登校対策『人一倍敏感な子供』への理解を」という記事が載り、そこで「HSC」について触れられていました。

また、これはまだ先ですが、NHKの「バリバラ」という番組のHPで「HSP・HSC」について悩みなどのメッセージが募集されています。近々特集されるのかもしれません。

 

こうして広まってきていることを嬉しく思うのと同時に、改めて感じているのは、一口に「HSP」・「HSC」と言っても、本当にいろいろな特徴の人がいるということです。

「敏感」とか「繊細」と言っても、何に対してどれくらい敏感なのかは本当にさまざま

それがわかったのは、息子以外の「HSC」の子の様子を知ったからです。

「HSC書籍制作プロジェクト」に参画して、いろいろなことを体験できましたが、自分たち以外のHSC親子のみなさんと出会えたことも財産です。

似ているようで一人ひとり違うんですよね。

息子を育てていることで「HSC」を知った気になっていたことを反省しました。

 

ちなみに、息子のことはおそらく「HSC」だと思っていますが、私自身は「HSP」かどうかよくわかりません。その傾向を感じることもありますが、とても敏感な人のお話を聞くと、自分はそこまでは繊細ではないと感じるからです。

 

また、「HSC」について学ぶにつれて、正確に理解することはとても難しいなと感じています。

いや、もしかすると、私が難しくしてしまっているだけなのかもしれないのですが、正確に理解し人に伝えることって簡単ではないと感じます。

だからこそ、改めて理解を深めたいと思っています。

 

それから、最近思うことは、同じく「HSC」「HSP」の当事者の方でも、

・どうしたいのか?

・どう捉えるのか?

もそれぞれ違うということです。

 

「どうしたいのか?」については、例えば、「学校との付き合い方」もそうだし、「認知の広まり方や広め方」、「配慮を求めるのか?」「配慮を求めるよりもむしろ別の選択肢を認めてほしいのか?」など。

また、「どう捉えるのか?」についても、【気質の特徴】を「ポジティブに捉えるのか?」 あるいは、「ポジティブに捉えたいと思いながらも現状として「生きづらさ」があるため、まずはそう思うに至った「トラウマ」について向き合う時期だと感じているのか?」 など。

それぞれの敏感さの度合い、何に対して敏感なのか? 環境や、現状によっても違うんだと思うんです。

 

どれが正解でどれが間違っているのかではないと思うのですが、違いがあるんだなと感じているということです。

 

それと同時に、私自身、どうしたいのか? どう捉えるのか? について、まだよくわかっていないことにも気づきました。

なので、まずは書き出して考えてみようと思ったのです。

ということで、今回は、「HSCという概念との出合い」と「今の息子の様子」について書こうと思います。

 

HSCという概念との出合い

 

私が初めて「HSC」を知ったのは今から約5年前、息子が幼稚園の年長の頃でした。

『ひといちばい敏感な子』エレイン・N・アーロン著 を精神科医スクールカウンセラーである明橋大二先生が日本語に訳してくれる少し前に、確か一万年堂出版のHPに書かれた記事で「HSC」という言葉に出合ったのが最初でした。

 

「これだ!」

なぜ、こんなに泣くんだろう?

どうして、こんなに私と離れることを嫌がるんだろう?

周りと比べて何か違うと感じ、不安だった私は、「息子だけではなかったんだ」という安堵に包まれて気持ちが楽になったことを覚えています。

 

その後、『ひといちばい敏感な子』の日本語版が出て、さあ、これでこの概念が広がるぞ! と期待したのですが、そう急には広まりませんでした。

 

私も個人的に、お子さんの敏感さに困っているお母さんがいた時に、この人なら話してもいいかな? と判断し、何人かに伝えたこともありました。

 

その反応は様々で、私と同じように「知ることができて良かった」とホッとした人もいれば、「新たなラベリングだ」とか「そうだとわかったところで、周りに配慮は求められない。結局敏感でない人の多い世の中で生きていかないといけないわけだから」と、お知らせしたことが返って申し訳なかったことだったかもしれないと思うこともありました。

 

そこで、私も少し萎縮してしまい、本当にこの人なら、話を聞いてくれるだろうと思う人にこっそり話す感じになっていました。

 

こうして「世間に概念が広がってほしい」ということと同時に私が願ったことは、息子の幼稚園の先生や、学校の先生など身近な大人に「息子の特徴を知ってほしい」ということでした。それは合わせて「できるだけ配慮してほしい」という気持ちでもありました。

 

息子の気質についてどう伝えたか?

 

そこで、私が気をつけたことは伝え方です。

「HSC」という言葉を使うかどうか迷いました。

当時は、まだ今ほど本も出版されていませんし、ネットやテレビや新聞などにも載っていませんでした。

だから「HSC」と言うと返って正確に息子の特徴が伝わらない気がして、使うことが躊躇われました。

それで、「息子は慎重なところがあり、初めてのことや慣れていないことに対して不安がります。また見通しの立たないことに対しても不安を感じやすいです。気にかけていただけるとありがたいです」と言うようなことを文章にしたり、口頭でも、折に触れて伝えました。

また、伝える時や、特別な対応をしてくれた時は、「いつもお世話になっております」「気にかけていただいて本当にありがとうございます」となるべく謙虚に感謝を込めて接しました。

 

そんなに下からお願いすることもないのかもしれないですが、先生も人間ですし、息子以外の多くの子どもの対応が大変な中配慮を求めるわけですから、できるだけ心証をよくしておきたいという打算的な思いもありました。もちろん、本当に有難いなと思っていましたけれど……。

 

幼稚園も比較的、多様な子を受け入れるところだったので、先生たちも息子の個性を理解して対応してくれることが多かったです。

しかし中には厳しめの先生もいて

「男は泣くんじゃないよ」

と言われたこともありました。

 

私も人目を気にして

「家で泣いてもいいけど、外ではあまり泣かないようにしてほしい」

と息子に話したこともあって、今思うと可哀想なことを言ったなと思います。だけど、同時に、その時の私は私でそう言わざるを得ないほど追い込まれていたのです。

 

その時の息子の言葉が印象的で今でも覚えています。

「泣きたくないけど、勝手に涙が流れてきちゃうんだよ」

そうなんですよね。そうなんだろうと思います(泣)

 

「学校の先生のための20のヒント」を伝える選択肢と今の息子の様子

『ひといちばい敏感な子』の本の最後の方に「学校の先生のための20のヒント」というのがあります。

それをコピーして学校の先生に渡していいと明橋先生にお会いした時に言われました。

本当にそうしようかと思ったのですが、なぜか躊躇われました。

 

いざ、「HSC」を口にしようとすると「あなたの接し方に不満があります」と責めたりしているように取られないかという不安に包まれるのです。

できるだけ波風を立てないように、先生を傷つけないようにという意識が強まってしまうのです。

 

結局、この概念を知って5年経ちますが、幼稚園の先生には結局「HSC」という言葉を口にすることはできませんでした。

小学校も1、2年の先生には言えず、3年生の時の先生と、4年生の時の先生には、学年の後半、私も先生と話し慣れた時期に「いつもお世話になっています」と言いながら、「実はHSCという概念があって、息子もそれなのではないかと思っているんです。これは、発達障害ではなく気質なんです」くらいの説明しかできませんでした。

しかも「そういうのがあるんですね。知りませんでした」くらいの反応でした。

 

今、息子は5年生になりました。

小学校には慣れて、友だちも少ないながら何人かできました。

苦手だった避難訓練も、自分で予定表で確認し心の準備をしてその時間を迎えることからだいぶ慣れてきました。

4年生の先生から「お子さんの特徴の引き継ぎはしてあります」と聞いたし、今、息子は落ち着いています。

 

さあ、今年、先生に「HSC」について話そうかどうか、今もまだ迷っています。

もしも、これから、具体的に心配事が出てきた時に「実は……」と話すか、その前に話しておくか……。

 

息子の気質について話すのは個人の問題ですが、「息子の気質のみ=HSC」であると伝わってしまうのは本意ではなく、また違うと思うので、「HSC」という言葉を使うとしたら、しっかりと理解してから伝えるか? あるいは、新聞とか書籍のコピーを見せながら伝えるかはした方がいい気もします。

 

では、これからどうしたいか?

 

ここまで書いてきて、今言えるのは、

“みんな違ってみんないい”

“一人ひとりの個性が尊重された社会になってほしい”

と思っているということです。

 

そこは変わらず思っているのですが、いろいろな人の意見を聞けば聞くほど、自分が具体的にどうしたいのか? どう思っているのか? がよくわからなくなっているのが現状です。

 

これから少しずつ気持ちを整理しながら、どう生きるのか? も含めて考えていきたいと思っています。

 

また、書きます。

 

https://s.mxtv.jp/variety/kikitai/panel_detail.php?id=7472208&month=201904

 

https://www.kyobun.co.jp/commentary/c20190418/

 

https://www6.nhk.or.jp/baribara/message/form/index.html?i=1044